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マウンティングとは、タイプとレベルを意図的に読み違える行為である【日常のコンサル思考】

人事コンサルタントのさいです。この記事では、コンサル的な思考を、身近なネタに適用して、身の周りの出来事を考察します。本日のネタは「マウンティング」についてです。

2013年に、瀧波ユカリ氏により、マウンティングという概念が提唱されて以来、このミームが爆発的に浸透しました。もはや現代用語として定着したと言えます。
ただ、最近の「マウンティング」の使われ方を見ると、提唱時よりも意味は広範化し、単に「自分アゲ、相手サゲ」する行為として認識されているように思います。提唱当時は、「相手を褒め、自分を貶める振りをしながら、実は自分優位の指標を匂わせ、相手を不快にする」ような会話を指していたのですが。
※例:「A子ちゃんって、自立しててすごいよね!私は仕事は旦那任せになっちゃってるんだよね〜さすがにパートとかした方が良いのかなって思うけど、生活困ってないし〜」(=独身女性の経済的自立を褒める振りして、自身は結婚し、専業主婦であることの優位性を示す)

この記事では、提唱当時の狭義のマウンティングについて、「タイプ」と「レベル」という観点から、その不快感の本質を明らかにしたいと思います。

1.そもそも人間は、日常的にタイプとレベルで分類されている

あらゆる人間分類は、「タイプ」と「レベル」のマトリックス構造です。
例えば、エニアグラムは、各性格タイプが、独自の成長・退行段階を減るとして、9タイプ×9レベルで構造化されています。MBTIは、心理的機能の強弱により16タイプに分類され、成長段階によって各機能が発展する(発展段階がある)という理論です。日本式の人間分類としては体癖論がありますが、これもまた各種体癖というタイプと、「品上がる」「品下がる」というレベルの概念により構造化されます。
性格分類だけでなく、会社内でも、「営業職」「スタッフ職」、「営業部」「管理部」といった、仕事の種類によるタイプ分類と、「管理職」「高度専門職」「非管理職」といった、指揮命令系統や仕事の能力によるレベル分類がされます。
ロールプレイングゲームでも、プレイヤーの職業とレベルという概念がありますね。
このように、人々は日常的に、タイプ×レベルの概念で分類し、分類されています。それは根源的に、個人には生来的な得意・不得意と、後学的な習熟・未習熟があるという、人間知から来ているのでしょう。

2.マウンティングは、タイプ間の違いを、レベルの違いとして意図的に読み違え、自身の優位性を誇示する行為である

世の中には、多種多様な価値観の人々がいます。冒頭の例で言えば、結婚して専業主婦になることを志向する女性もいれば、キャリア重視で結婚は二の次という女性もいます。バリバリ仕事をして、起業する男性もいれば、仕事はそこそこに、趣味などの自分の時間を大事にしたい男性もいます。

この違いは、果たして「タイプ」の違いでしょうか、「レベル」の違いでしょうか。

答えは「タイプ」の違い。「何を重視するか」の「何=What」であるからです。
もし、レベルの違いだとすれば、同じWhatの中で、程度の違いを示さなければなりません。例えば、「専業主婦として悠々自適に暮らしたい」という志向があるのであれば、「専業主婦をしながら、自身の可処分所得は月30,000円」という場合よりも、「専業主婦をしながら、自身の可処分所得は月100,000円」という方が、レベルが高いということになります。

マウンティングが不快なのは、この「タイプ」の違いを、「レベル」の違いと読み違えて、勝手に優劣をつけるところにあります。

子どもの頃、自分が好きなものを「ダサい」と言われて傷ついた、というような経験はありませんか。本質的にはこれと同じで、自分が好きなもの=Whatそのものを否定されることは、非常に辛いことです。自身が好ましいと思ったWhatは、アイデンティティ形成そのものだからです。

タイプは並列的なものです。そこに上下はありません。タイプの数が多い=多様性があるからこそ、人々は相互に得意不得意をカバーし合ってきたのです。多様性の低いコミュニティはいずれ衰退します。だから人々の多様性は尊ばれるのです。

マウンティングとは、この多様性を否定するものです。自身の志向を絶対基準として捉え、そこから外れる価値を認められず、劣るものとして捉えるものです。非常に閉鎖的な考え方であると言えます。

3.マウンティングは、価値観の多様化における過渡期の反応

多種多様な価値観が生まれ続ける中で、他のタイプを脅威的に捉え、マウンティングしてしまう人々は今後も増えるでしょう。社会に新たな価値観が生まれ続ける時代における、個人レベルの防衛反応です。社会の変化に、個人の心理がついていけていないのです。

マウンティングされたら、それは相手が異なるタイプをタイプとして認知できない状態であるということ。自身と相手のタイプの違いを認め、それそのものは尊重しながらも、「もう少し視野を広げたらいかがか」とスマートに切り返したいものですね。

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