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TwitterがXとなるとき、ブランディング担当者はどう生きるか

鳥や名称が消失したTwitterの変革に対して、多くの人々が悲しみの声を上げています。かつて築かれたブランドの核が、新たなオーナーによって一変してしまったのです。これは急激なブランド変更を超えて、ワンマンな経営判断によりブランディングが根本から覆された出来事と言えます。風呂に浸かりながらnoteを検索しただけなので断言はできませんが、この視点での記事は見当たりませんでしたので、私自身で書いてみたいと思います。

この記事は、Twitterブランドの素晴らしさを議論するものではありません。(世界を変えるほどの素晴らしいブランドだったと私も思います)。また、Xの方針について検証するものでもありません。今回の騒動に着想を受けて、"世のブランディング担当者って、この件をどう思ってるんだろう"という疑問が湧きました。この場合の担当者は「ろくに仕事をしてない部類」の担当者に限定しています。理由は後々、少々のニヒリズムを込めながら書いています。その点を先に謝っておきます。申し訳ありません。

これは完全に主観的な意見ですが、企画やクリエイティブを担当する社内のブランディング担当者の中には、自分たちの領域や権限において安住し、楽な立場で給料をもらっている人々が存在すると感じます。

ブランディング担当者の使命と困難さ

企画やクリエイティブを担当する社内のブランディング担当者は、「ブランドを守る」「ブランドを適切に広める」という使命を背負っています。私もこれまで彼らに接した経験があり、その仕事がいかに困難で複雑なものであるかを理解しています。創業者と共にビジョンを構築したり、最適な表現方法を見つけたり、会社内で意見の相違が起きないように努めたりします。大きな視点での指針を示す一方で、細かい点でも細心の注意を払う必要があります。ブランドは適切に保護され、活用されるための環境整備が必要です。例えば、"ツイート"がツイートと呼ばれるようになったのも、最初は誰かが守り続けた結果ですし、Twitterの鳥が鳥である理由はデザインが守られた結果で、こうして適切に形成されたのです。他の企業も同様に、担当者を配置してブランディングを行っていることでしょう。もちろん、noteさんもその一つだと思います。

社内ブランド利権の闇 - 一部の偉そうな担当者たち

しかしながら、ブランドに胡坐をかいている不正な担当者も存在することが思い出されます。何か大きな権限を持ったかのように振る舞い、ただ指摘するだけでなく、他の人々に対して高圧的に接する人々です。私はこうした人々を「ブランド利権で給料をもらっている人々」と呼んでいます。

ブランドを守るためには、規則を遵守してもらうために強制力を持たせることが必要な場合もあります。時には警察のように毅然と振る舞わなければ、誤ったブランドイメージが広まることもあります。それはブランドに損傷を与えることになります。損傷は避けなければなりません。そのため、担当者には重要なポジションが与えられ、経営陣に所属して責任を果たす立派な方々もいます。

しかしながら、ブランドを守る責任よりも、権限の行使に重きを置いている人々もいます。ブランディング担当者=偉いと勘違いし、新しいサービスやマーケティング手法を立ち上げる際に、理解を超えた理論を振りかざし、周囲(同僚など)に対して高圧的に接する人々です。こうした人々が相手だと、周囲は課題ではなく担当者のご機嫌と向き合うことになります。非常に効率が悪いですし、多くのアイデアが挫折してしまいます。同僚の中にも、私の中にも、そんな浮かばれない企画があります。こうした軋轢や妨害に阻まれた経験がある人も多いのではないでしょうか?ブランディングが軋轢や妨害になるとは信じがたいですが、ブランディングは理解を広めることも含んでいるはずであり、ガイドライン資料を作成して共通の認識を健全に保つために運用されるものだと思いますが、答えはすべて担当者の中にあるという状況が横行する場面もありました。このような不透明な制度に胡坐をかき給料をもらっていることを利権と言わずしてなんと言うでしょう。

ブランディングが会社内で指導や監視の側面を持っているため、こうした人々が出てくるのは避けられないかもしれません。ただ、ブランドという概念は少し神秘的で精神性を持っており、社内においては善を解く聖職者のように鎮座しているように見えてしまう場合があり、それに付け込んでふんぞり返っている輩がいることが厄介なのです。

ブランドがブランドらしさもなくドライに終わる時

これをお読みになるブランディング担当者がいるかどうかは分かりませんが、「それはメンバーがブランドを守らないだけではないのか?」という意見もあるでしょう。そういうケースも無いとは断言できませんね。証拠はありませんが、疲弊した同僚の表情が浮かんではきます。

ただ、今回TwitterがXに変わったことを、自分のこれまでの会社に置き換えて想像するだけで、「ザマァ」と少し嬉しくなります。想像ですがね。
なんだか崇高なブランディングを語り続けてきた人々の信じてきたものが、経営者の一声で忘れ去られてしまうのですから。もしかすると、新しいブランドの番人として、昨日までのことが無かったかのように振る舞うのかもしれませんが、昨日まで信じてきたもの、仕事だと思い込んできたものが揺らいだという事実を前に、次はどんなコンセプトやマインドを説かれるのでしょうか。

まあ、私が論じている利権で飯を食う人々は、ビジネススキルや人間性が他の多くの人々と比べて少しズレているだけの例かもしれません。そして高給をもらっている人々も少なくありません。彼らは懐を痛めることなく、高い立場からこの騒動をネット上の一つの事件として楽しんでいるかもしれません。しかし、ブランディングに服従するだけの、担当者からすると下っ端の目線で見たとき、今回の出来事は対岸の火事ではなく、日本でも起こってほしいとさえ思ってしまいます。

別の例にはなりますが、利益追求から来る上層部の高圧的な態度に端を発したビッグモーターの不正疑惑事件も、権力による蔑視の姿勢が原因の一つと言えるでしょう。勘違い野郎の暴走は怖いですね。ブランドは一部の選ばれたと思い込んでる輩だけでなく、全ての従業員が体現するものであり、ブランディング担当者だけが決定するものではありません。そんな輩どもの価値観を、経営者の一声で打ち砕いてくれることがあれば、その瞬間はイーロンのような人物を支持したくなります。

迷惑疑似ブランディング支配は無くならない?

Twitterは素晴らしいブランドを築いたサービスであり、Twitterに匹敵するプロダクトもたくさん存在します。もし姿を変えたとしても、一時代を築いた功績や、人々に与えた新しい世界観は語り継がれ、それらを作り上げ守ってきた多くの人々に賞賛とリスペクトを惜しむことはありません。

その賞賛から外れる輩たち。君たちが何某かの権力めいたものを背景に、高圧さを醸しながら重要そうに語っている”ブランド”は、担当者の及ばないところでガラッと変わるのですよ?ちょっとは考えたほうがいいんじゃない?そう問うてみたい人の顔が浮かびます。利権ではなく、本質を見極め、ブランドの価値を大切にしてほしいという普遍的な願いもあります。

まあ、本質を分かってない社内の利権食いはそんな思考回路を持ち合わせていないでしょうが。

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