フクチャ

佐賀県のテレビ局で働いてます。 記者じゃないですが「がばいよか」記事を書きたいです。 …

フクチャ

佐賀県のテレビ局で働いてます。 記者じゃないですが「がばいよか」記事を書きたいです。 好きな言葉は「やらなきゃ意味ないよ」です。 ※このブログは僕の意見であり、会社の意見ではありません

最近の記事

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金太郎飴に成り下がるな!

「部活やクラスで活躍できなかった」人達に見てもらいたい。「社会を背負うのはメンバー外の俺たちだ!」そんな記事です。 どうも、地方テレビ局員「フクチャ」です。僕は小4から大学4年までの13年間を野球に費やしてきました。 ご覧ください、この希望に満ち溢れた写真を。「俺がこのチームを支えるんだ!」と言わんばかりです。 でも安心してください。僕はそんな誇れる野球選手ではありませんでした。こちらをご覧ください。 この写真、実は「テレビ局のエントリーシートに貼る用」で上だけ着替え

    • 僕は今でも信じられない

      どうも、地方テレビ局員のフクチャです。 僕の下の名前は「啓太」です。読み方は「けいた」です。 そんな僕の兄の名前は「太郎」です。兄が太郎なら次男の僕は、定石でいけば「次郎」のはずです。 しかし、僕の親戚にパチンコ狂いの「じろうおじちゃん」という方がいたので、さすがに次郎はやめたらしいです。 僕の両親は教師ということもあり、妥当な判断だったと思います(笑)※父は美術の教師、母は数学の教師 そんな僕は、「次郎にしなかった由来」は知っていましたが、「啓太」になった由来は知

      • 誰も悪くない、切ないお話

        誰も悪くないのに、皆が傷付いちゃうことってありますよね。どうも、地方テレビ局員のフクチャです。 今回は僕が小学5年生の頃のお話です。 僕の家族は教師の両親、3つ上の兄、そして僕たち孫の面倒を見てくれる父方の祖父母、計6人で暮らしていました。 そんなある日、別々の学校に勤めていた両親が、奇遇にも同じ日に修学旅行の引率に行かないといけない日がありました。 つまり、「両親が家を空ける」というビッグイベントが訪れたのです。 普通であれば「寂しい」が先行するでしょう。しかし、

        • 見せてあげよう素晴らしい世界

          大学3年生の頃、「ゼミ合宿」という名の旅行で、韓国へ行った。 当時は部活をしていたので、「あいつ部活サボって韓国行くらしい」という物凄い反感を買った。※死ぬほどお土産を買ってきて許してもらった そんな私は、お恥ずかしながら今回の韓国が「人生初の海外」だった。だからどうしてもこのゼミ合宿に参加したかったのだ。 ・・・・・・・・・ あの7月の2泊3日は忘れもしない。 行きの飛行機はピーチだった。悪天の影響もあり、「羽田→仁川国際空港→伊丹→仁川国際空港」という謎の超ロン

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        金太郎飴に成り下がるな!

          対 世界っちゃけど!

          「人生の本質は応募をすることだ」 私の愛読書、夢をかなえるゾウで出てくる一節だ。(正確ではないです…笑) 作中、この言葉を受けた主人公は、ずっと諦めていたカメラマンになるために、まずは「カメラの市民大会」的にものに応募していた。 そしてそこから彼の人生は大きく変わっていった。 このシーンを受けて、私も「応募すること」の大切さを感じた。 当時大学生だったので、色んな企業にエントリーシートを出したし、アルバイトも色んなものに挑戦した。 そして今、社会人になった。 営

          対 世界っちゃけど!

          接待ゴルフ界のスーパースター

          「いや〜!フクチャくんとゴルフ行くと元気になれるよ!」 いつも戴くお言葉だ。 社会人3年目の現在、ラウンドも15回は回っただろうか。ある程度のゴルフの礼儀作法は身に付いた。(古豪の高校で野球をしていたので、普通の礼儀作法は骨の髄まで染み込んでいます…) スコアはベストが113、基本的には110代で回れるようになった。所謂「下手くそだが、迷惑をかけないレベルの下手くそ」ってやつだ。 さらに私には、中学から大学まで野球部で控え選手だったこともあって、スタンドで鍛えた「張り

          接待ゴルフ界のスーパースター

          早く終わりたかった・・・

          私は佐賀県では古豪と呼ばれる高校で野球をやっていた。 高2まではスタンドで応援団長として過ごしていた。 だから先輩たちからも「俺たちのために応援を頑張ってくれる良い後輩」と思われていた。 が、 自分の代になったとき、なかなか野球の実力が付いて来ず、試合に出ることはおろか、ベンチに入れないこともあった。 そんな世代交代した秋のある日、僕に人生で初めての彼女が出来た。 小柄でケラケラ笑う可愛い彼女のことが、もう本当に大好きだった。 「少しでも一緒にいたい」 本来で

          早く終わりたかった・・・

          ちょっとセブンまで

          私のコーヒー時間は、仕事中にちょっと近くのセブンに行って飲む1杯だ。 ただ、この1杯にはあまりにもリスクが大きすぎる。 ・・・ 私は営業部で働いている。 だから「12時から13時までが昼休み」みたいなルールはあってないようなものだ。 そこで私は休み時間を分散して使っている。 具体的には、12時から40分、そして午前か午後のどこかで「コンビニコーヒータイム」を取り入れている。 近くのセブンイレブンのコーヒーがべらぼうに美味い。 たぶんだが、他のセブンイレブンより

          ちょっとセブンまで

          佐賀・蔵出し明太子

          ああ、もうこれで決まりです。 佐賀県鳥栖市の「蔵出しめんたい本舗」さんの明太子、これに尽きます。 小学生の頃、フジテレビで放送されていた「食わず嫌い」が大好きでした。 「俺も絶対に出てやる、出たら『蔵出し明太子』を持っていって、たかさんとのりさんをアッと言わせてやる!」 そんな大志を抱いて、生きていました。 が、 「みなさんのおかげでした」の終了、私の「普通な人生を歩む」という選択、この2つが重なり、私が蔵出し明太子を世に紹介する機会は無くなりました。 ただ、い

          佐賀・蔵出し明太子

          数学の教科書

          私の名前は「啓太」です。「ケイタ」と読みます。 母親が数学の教師をしているせいか、私は理屈っぽい性格で、言葉の由来や、会社名の由来などは結構気になるタイプです。 にも関わらず、 23歳になるまで自分の名前の由来を正式に知ったことはありませんでした。 話は遡ること20歳の頃、大学受験で2浪していた私は、医学部を目指していた4浪目くらいの先輩と仲良くしていました。 受験で東京に行く際、その先輩がお手紙をくれました。 「 いつも一緒に頑張ってきた啓太へ 啓太なら今年は

          数学の教科書

          さよならカイオーガ

          僕は佐賀のど田舎で生まれ、育った。 だからインターネットに触れたのは、確か小学5年生とかで遅かった。 当時はポケモンに熱中していた。 両親が教師で、ゲームをプレーできる時間には制限があった。 だから周りの友人に「レベル」や「パーティー」(手持ちの6体のポケモンのこと、あれ?こうやって言うのは佐賀だけ?)で勝つことは不可能だった。 じゃあどの部門で友人に勝つのか? 思い浮かんだ答えは、まだまだ普及していない「インターネット」による「オンライン限定商品」を買って、誰も

          さよならカイオーガ

          大学球界“1”の盛り上げ屋〜前編〜

          中・高と基本的にベンチだった。 そのおかげもあって、「声出し」には自信があった。たぶん根尾昂くんよりも上手かったと思う。 大学生になり、私は硬式野球部ではなく、「準硬式野球部」に入った。 硬式野球部のグラウンドと準硬式野球部のグラウンドは、5mくらいの小道を挟んで向かい合っていた。 あちらはプロ野球選手を毎年輩出するエリート軍団、 こちらは「え?じゅんこーって何?」と毎回聞かれる集団。 その5mの小道のどちら側にいたかで、就職先も「キー局」に行けるか、「地方局」止

          大学球界“1”の盛り上げ屋〜前編〜