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大学球界“1”の盛り上げ屋〜前編〜

中・高と基本的にベンチだった。

そのおかげもあって、「声出し」には自信があった。たぶん根尾昂くんよりも上手かったと思う。

大学生になり、私は硬式野球部ではなく、「準硬式野球部」に入った。

硬式野球部のグラウンドと準硬式野球部のグラウンドは、5mくらいの小道を挟んで向かい合っていた。

あちらはプロ野球選手を毎年輩出するエリート軍団、

こちらは「え?じゅんこーって何?」と毎回聞かれる集団。


その5mの小道のどちら側にいたかで、就職先も「キー局」に行けるか、「地方局」止まりになるか的なとこもあった。

その5mはもしかしたら「天国と地獄」だったのかもしれない。

※硬式の辛さは隣から見ててエグかったので、僕には無理でしたが…

・・・・・・・

私が大学1年の頃、硬式野球部の4年生は豊作だった。確か2人くらいプロに行った。

そんなドラフト当日、雨だったので部活が中止になった。

「酒でも買いに行くか〜」と思い、グラウンドの横を通ってスーパーに行った。

すると、目を疑う様な光景がそこにはあった。


そう、我々準硬式野球部のグラウンドが、硬式野球部のドラフトを取材にきた新聞屋やテレビ局の記者達の「臨時駐車場」になっていたのだ。


「おい!小学校のPTA総会じゃねーんだぞ!」

10年ぶりにグラウンドが駐車場になっているのを見て、思わずハイエース達に突っ込んでしまった。

私は野球も下手だったし、別に硬式野球部に嫌いな奴もいなかったので、そこまで彼らにマイナスな感情を感じたことはなかった。

が、

さすがに「大事なグラウンドを駐車場にされたこと」には若干の「これはなめられてる…」と思わざるを得なかった。

・・・・・・・・・

それから、どこか硬式野球部に対して若干の敵対心を覚える様になった。

だがしかし、野球では間違いなく勝てない。では何で勝つか?


唯一残されていた答えは「面白さ」だった。


それからの日々、めちゃくちゃお笑いを勉強した。

夜な夜なYouTubeでお笑い芸人さんのツッコミ方や、タイミング、そしてボキャブラリーを会得していった。

・・・・・・・・・

月日は流れた。

早慶戦の際、逆転を果たした慶應の保護者席がはしゃぎ倒していた。

ムカついたので、

「おい!そこの年収2000万くらいあるババア達!お前ら黙れよ!俺の親は年収500万だぞ!今日くらい負けてくれよ!」

慶應の保護者に向かって叫んだ。

なかなかのブラックジョークだった。

が、

味方も慶應の保護者も笑いに包まれた。

そのとき、「あ、俺の笑いは大学レベルでは一定に達したな」そう感じた。


が、

この後、本当に大学で1番の盛り上げ屋になれたのはまだ少しだけ先の話。


後編に続く。


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