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大空真弓と恋のバカンス

私の母は、ご近所でもたいそう美人で有名だった。

昭和の名女優「大空真弓」と似ていると、それはそれは評判だった。

母は4人姉弟の長女で、娘の私からみても、まごうことなき「お姉ちゃん」像の象徴とでも言える人だった。
同級生という方から話を伺っても、成績優秀、非常に正義感が強くまじめな子供だったことがわかる。
晩年は、その当時の真面目さをもって、民生委員を他界する間際まで勤め上げた。
根っからの真面目人間で融通がきかない人でもあった。

と、ここまで書くと、美人で頭がよくて正義感が強い、ご近所さんや同級生たちからの信頼も厚い人間を想像してしまうだろう。
だがしかし、その実はとんでもない呆れた女なのである。

母は高校卒業後、徒歩数分の距離にある大手白物家電メーカーの工場に就職をした。本人曰く、ここを選んだ理由は「近いから」。ただそれだけだったそうだ。
だけど、美人はどこへ行っても目につくらしく、工場で機嫌よく仕事をしていたところ、本社の役員さんの目に止まり、本社の受付嬢へと華麗なる転身をしてしまったらしい。
「ほんま、ええ迷惑やったわ。電車乗らなあかんねんで?」
と晩年も文句を言っていたのを鮮明に覚えている。

大空真弓に似たうら若き乙女が、受付嬢として本社に勤務するようになると、いいよる男は数しれず。
成績優秀・正義感が強く・まじめだった美少女は、単なる浮かれトンチキなアゲアゲ女へと見事に変貌をとげてしまったのである。

以前、当時をよく知る男性から、
「えっちゃんのお母さんな、仕事終わったらスナック行ってな、頭に変な羽つけて『恋のバカンス』よう歌ってたで!(笑)」
と話を聞かれされたことがある。
まずもって、「変な羽」というのがなんなのか?
そして、家に帰らず男の人達にちやほやされながら、スナックで恋のバカンスとな。
完全に、道を踏み外している感が否めない。

そして、事件が起こる。

祖母の話では、当時、母には同じ会社に務めるとても真面目な好青年の婚約者がいたそうだ。
祖父が病気で入院をしたときも、何度もお見舞いにきてくださったそうで、祖父母は非常に気に入っていた男性だったらしい。
ところが、ある日、母が祖父母に伝えたそうだ。

「子供が出来た」

おぉ、そうかそうかと話に耳をかた向けると、どうやら出来た子供の父親は婚約者ではないことが判明。
浮かれトンチキ アゲアゲ女、ここまで道を踏み外すとは我が親ながら見事なもんだと感心する。

このときの心情を祖母は「情けなかった」と言っていたが、本当に情けなかっただろうし、親としては婚約者に申し訳ないやら恥ずかしいやら複雑な気持ちでいっぱいだっただろうと簡単に推測できる。
そんな簡単な気持ちも推測出来ないほど、私の母は社会に出て美人を引っさげ調子こいてしまったのである。

ですが、あまりコケ下ろすことは出来ない。
何を隠そう、いや、隠さずとも、この浮気相手の男性こそが、私の父となる人物である。
会ったことはないが、戸籍上、私の実父である。
DNA鑑定はしたことないが、残念なことに戸籍上の実父である。
戸籍謄本を見るたびに私が目にする名前、それがこの浮気相手とは情けない。

ただ、このときに出来た子供というのは私のことではない。
私の兄「忠(ただし)」が誕生したのである。

大空真弓とちやほやされ、恋のバカンスを謳歌した結果、忠が誕生し、浮気相手の男と私の母はめでたく婚姻届を出したのであった。

そして、この忠くん、玉のようにお美しいご尊顔で誕生し、浮気相手の子供のはずなのに、祖父母は・・・特に祖父は溺愛をしていたそうだ。
当時の兄の写真を見ると理由は明白だ。
祖父に瓜二つ。
孫は強し、隔世遺伝バンザイである。

祖父に溺愛され、母からも溺愛された私の兄、忠。
ただ、彼は一つ大きな爆弾を抱えて生まれてきてしまっていた。
「てんかん」である。
初孫にして超絶美形の兄ではあったが、とにかく体が弱かった。
母は常に寄り添い、兄に付きっきりだったそうだ。
浮気の代償なのか、天罰なのか、その幼い美少年はたった6年で生涯を閉じ天に召されてしまった。

私が生まれたのは、まだ兄が闘病していた頃だったのだが、生まれた後も兄のことがあり、私は祖父母に育ててもらっていた。
私がいると、兄が私に嫉妬をして暴力を振るうのが原因だったらしい。
お母さんを独り占めしたかったのだろう。
私にそんな記憶は当然ないが、祖母から兄の遺影をみながら話を聞いて、それは仕方ないよなとよく思っていた。

溺愛していた兄が旅立つのと同時期に、よくない知らせが母の耳に届いた。
なんと、夫が別の女を妊娠させたというのだ。
兄が旅立ち、夫が出て行き、残されたのは生まれたばかりの娘だけ。
このとき、母がどんな思いをしていたのか聞いたこともないので知らないが、ただ、私には腹違いの姉弟が他に3人いるという事実を聞いたときの私の衝撃は、飲んでいたお茶を口から吹き出し、座っていた椅子から転げ落ちるほどのものだった。

さて、このニセ大空真弓だが、この後の人生、猛省するかと思いきや、とんでもない暴挙に躍り出たのである。

俗にいう、「育児放棄」。
今で言うところの「ネグレスト」である。

母子家庭になった母は、働きに出ることになった。
そして、まともに家に帰ってくることがなくなった。
毎夜毎夜、仕事が終わるとスナックへ通い、恋のバカンスから卒業し、金井克子の「他人の関係」を熱唱する女へと進化したのである。
夜のきらびやかなネオンの中、金井克子よろしく手を、右へ左へパッパッパパッパとお楽しみの毎日だったそうだ。
相変わらず変な羽は頭につけていたらしいが、そんなことは私の知ったことではない。

幸い、私は祖父母宅に既に住んでいたので、昨今のシングルマザーによる育児放棄とはちょっとわけが違った。
私を哀れに思い、人一倍愛情をかけてくれる祖父母と母の弟たちがいた。
母のことは、たまに見かけるけど一緒に暮らしていない人、そういう風に私は見ていた。
そんな環境が物心付く前に出来上がっていたので、別に母と暮らしていない生活に疑問を持つことはほとんどなかった。


そんなことより。
その頃の私にとっての最重要課題は、いかにして祖母の目を盗み、祖父をたぶらかし、どうすれば毎日祖父のラーメンをたべさせてもらえるのか? ということが一番の問題だったと私の中の記憶が鮮明によみがえってくるのであった。

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