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私はおやゆび姫

→ これまでのお話「相良悦花という人生」

私は自分の父親の顔を知らない。

戸籍謄本で名前を見ることはあるが、本名以外存在がわからない。

私は祖父母に育てられ、愛情たっぷり元気にのびのびと育った。
保育園への送り迎えも祖母。
食事を食べさせてくれるのも祖母。
ちょっとおいでと呼んでくれて、祖母に隠れてラーメンを食べさせてくれたのは祖父。
そんな楽しい毎日を過ごしていたおかげで、自分で言うのもなんだが、とても素直で純粋な子供に育ったと思う。

母がそばにいないこと、母が滅多にこないこと、来ても殆ど会話がないこと。
きっと祖父母や叔父(×2名)が私にうまいこと言って、疑問を持たないように仕向けてくれていたのだろう。
もしくは、私が本当に馬鹿だったのか。
しかし、なんて幸せな幼児期だったのだろう。
今思い返しても、何不自由なく育てて頂いたという思い出と感謝の気持ちしかない。

だがしかし、大きくなっていくにつれ「あれ?」と気づくことも出てくる。

「私のお父さんは?」

気づいてしまったのである。
保育園の遠足や運動会、参観日に父の日のイベント。
あれ?おらんよな?
うち、おじいちゃんとお兄ちゃん(叔父×2名)しかおらんよな?
お父さんって誰?どこにおるん?

そんな幼児の素朴な疑問は、たまにフラッと顔を見せる母親に向けて投げられるのは至極当然のことである。

「なぁ、私のお父さんって誰?どこにおんの?」

私は忘れもしない、母がそのとき見せた「聖母のような微笑み」を。

普段は、滅多に会うこともなく、実家に帰ってきたと思ったら
「ほんま、ええかげんにしぃや!!子供ほったらかして!!」
祖母に叱られまくり、眉間にシワを寄せ仁王像の吽のような顔をして、怒ってプイッとまた遊びに出ていく母が、私に「微笑んだ」のである。

しかも、無言で。


私の出生が明らかに


それから数日後、母は仕事を早く切り上げたのか、珍しく早く実家に帰ってきた。
そして、近所にある自分の家に私を連れ帰り、ある絵本を私に見せ、こう説明した

「えっちゃんはね、実は『おやゆび姫』なんよ。お母さん、かわいいかわいい女の子が欲しくて神様にお願いしたんよ。
そしたらチューリップから、えっちゃんが生まれてきてん!」

なんやて?!
私、おやゆび姫やったん?!

衝撃の事実を目を丸くして聞いていた私。
そして、その日を境に数日間、母は、ゆっくりじっくり
それこそ
洗脳教育を施すかのよう
えっちゃんが納得がいくまで
えっちゃんの疑問や質問はブラックホールへ吸い込ませる勢いで
聖母のような笑顔
おやゆび姫として生まれた「えっちゃん」の話を
絵本を交えてお話(力説)してくれるようになった。

えっちゃん、まんまと洗脳にハマる

洗脳に成功した母は、またしばらく実家によることはなかった。

でも、えっちゃんは大満足。

なにせ、自分の出生が書かれている「おやゆび姫」の絵本を手に入れたのだから。

オールカラー名作絵本「おやゆび姫」
●アンデルセン 文:柴野民三 絵:森康二・浦田又治
●発行:ポプラ社
●昭和48年発行
※実物の本は近いうちに掲載しようと思います。


ちなみに、この母の洗脳が実際に解けたのは
小学校の2年生の時である。


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