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誰も彼もが本当は長い長い背景を背負っている─小津安二郎『東京物語』

小津安二郎『東京物語』と言えば、上京した両親を子ども達が邪険にして、唯一、原節子だけが優しい。
だいたいそういうことだけど。

中でも印象的にデリカシーに欠けるように見える長女の志げ(杉村春子)。昨日たまたまTVでやっていて、何度も見たし悲しい映画だ、と思いつつ、また見てしまった。もうだいぶ話は進んでいて、その志げが、久しぶりに酒に酔った父(笠智衆)を家に入れるシーンが始まった。
私はこのシーンがとても悲しくて、でもとても好きだ。なぜ好きなのか分からなかったが、昨日は、よく分かった。
(映画の切り抜き動画があったのでリンク貼りました。そのシーンは動画の冒頭に入っています)

酔い潰れて正体不明の父に、「やんなっちゃうなぁ!」と憎々しげに繰り返す志げは、子どもの頃は父はよく飲んでこうなった、母と自分は散々な思いだった、妹が生まれてからはきっぱりやめていたのに、と言う。
そして寝間着姿のまま、いわゆる“女らしさ” の欠片もないほどに、ぞんざいに丸めた猫背、開ききった骨盤。
(見事にこの躰になってみせる杉村春子も、それをわざわざ真横から撮って見せる小津安二郎も、なんて残酷なのだろうか!)

昨日あらためて見ていて、ハッと思ったのは、父の醜態とそれに黙って付き合う母を見るのは、たまらなく嫌だったのだろう、と。父が酔い潰れる度に「いやんなっちゃうなあ!」と呟きながら介抱していたんだろう。そんな我慢が、私はきっと違う夫婦に、もっと良い夫婦に、もっと幸せな夫婦に、なってやるんだ、ちくしょう、いつになったら幸せな夫婦になれるんだ、ちくしょう、ちくしょう、そんな我慢が、志げをこのような体躯にし、このような人物にしていったのではないか。

両親の世話をやく時にも、何をするにも、あの情けない親の姿に振り回された時間の記憶が、どこかついて回る。それがこのシーンだったのではないか。意地の悪い、と思えるあの兄弟達のそれぞれにも、それぞれに似たような背景があるのだとしたら、いったい全体、彼ら彼女らを責められるだろうか。そして酔い潰れる父、末娘が生まれて飲まなくなった父にも、その背景があるのだ。
(それは戦争の体験だったのかもしれない)
そして彼らと同じように、私たちにもそれぞれの背景があり、このような私たちになっているのだ。
いったい誰が、誰かを責められるだろうか。

昨日は志げの背景がありありと立ち現れてきて、とても泣けた。

妹の京子は、姉の志げを「ずいぶん冷たい」と非難するが、そんな京子は、父の醜態をさらす姿を知らない。
紀子(原節子)ははやくに夫に死なれ、この両親との濃密な時間がなかった分、もしも夫が生きていて、必死に夫婦という生活を生きているとしたら、やっぱり志げのような女に成り下がっていたに違いない、という罪悪感がついて回る。
最後に父に胸の内を明かすが、父はそれでも「あんたは優しい」と言い、この淡々としたやり取りは「小津調」と言わなくても、紀子の心情を理解していないように思える。
紀子が何を言っても、父は紀子さんは優しい女の人、という印象を頑なに信じていて、話が噛み合っていないように思える。
もしもお父さんが叱ってくれたなら、何か決断ができるかもしれないのに。
泣き出す紀子はそんな風に思っていなかっただろうか。

しかし実際には「やっぱりあんたは優しい」ままなのであり、何も変化が訪れないまま、紀子の日常が進んでいく。

小津安二郎『東京物語』切り抜き

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