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乱れた本に興奮をおぼえる性です。
本題に入る前に、少し前置きをさせてください。
古書を眺める愉しさは、作られ読まれたその時代時代の息吹を肌で読み取りながら物語を堪能するという、
「五感+時空超え」
という愉しさであります。
加えて、乱丁落丁本の様子にも、ただならぬ人間の息吹を感じます。
「誤植」ひとつ取っても、昔の活版印刷本には文字が逆さまだったり前後していたり、現在の“入力” “データ”ではあり得ない、人力ゆえの印刷ミスや裁断ミスに、人間臭さが漂います。
わたくしは生来の “人間嫌い” でして、生々しい人間ドラマは映画や歌の中でもうじゅうぶんという、どうしようもないつまらないタチでして、
そのクセに、、、というより、それが故に、、、乱丁本のように、間接的に人間を感じる時間が愉しいのでございます。
こうして、古本を手に恍惚となっている様は、恥ずかしいので決して人前に見せる事はできません。
やっと本題でございます。
ある時、ちょっと嫌な事が重なってしまい気分がネガティブになって、心を許した友(人間嫌いでも、幸運な事に友と呼べる人は幾人かはいるのです…)へ、つい愚痴メールを送ってしまいました。
ややあって返ってきたメールには、今出張先から連絡している事と、慰めに何かお土産を買ってあげるつもりである事が書かれていました。
それから数日経って友に手渡されたのは一冊の本でした。
古書ではありません。小さいですが、彼の地で有名な物語の、少し特別感を持たせた活版の美しい本でした。
その晩、自室で楽しみに読み始めると、なんと、、、!
最後の5ページほどが、見事なまでの裁断ミスではありませんか!
製本する際、ページを蛇腹に折り畳んで最後に裁断したものと思われるその本は、最後の5ページほどが、上と中とが交互に袋とじ状態になっており、見事に繋がっているのです。
、、、おおおっ!
私はこみ上げる興奮を抑える事もせず、その閉じたページを、私は人差し指と中指とでそっと押し広げながら、奥に眠っている文字を覗き込むのでした。
すぐにお礼のメールをしました。
しかし乱丁本であったことは伝えていません。いくら説明しても、「不良品を贈ってしまった」と言って心を痛めるに決まっています。謝られるに決まっています。
いくら説明しても、この本の乱れに、私が心底喜んでいるなど、そういう意味でもベストプレゼントであった事など、信じてもらえないに決まっています。
あぁしかし、、、
私に訪れたこの本当の出来事と喜びを分かってほしい。あなたが何も知らない本当の出来事と、私のこのどうしようもない性を。
、、、いやまさか、
まさかわざとじゃないよな。
私の性分を知っていて、敢えて選んでくれたわけじゃないよな。
嗚呼、
なんと深く愛おしい、人間の業(わざ)よ。
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