ジョウとゲという概念と境目
日本では、ユニットバスに対して抵抗はなかった。多少の使いづらさは感じるものの、そんなものだろうと思っていた。ただ、お湯を溜めて浸かったときの風景が嫌で一度くらいしか湯は張らなかったが。
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今、私が住んでいる家は学校の教員住宅。
中国式のフルフラットな和式便器が小さな個室の中央に埋め込まれ、壁面上部にシャワーヘッドがつけられている。シャワーの排水は便器のみによる。
要はユニットバスなのである。
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お風呂は浄
トイレは不浄。
お風呂は上。
トイレは下。
上の時間のはずなのに、足下は便器のすぐ脇で、つまりこれは下。
決して衛生的にも景観的にも整った家で育ったわけではない。屋根裏やベランダを含め、家中を闊歩する自由な猫も飼っている。実を言うと、実家のトイレはつい最近まで汲み取り式であった。
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高校・大学時代、神社で助勤といわれるアルバイトをしていた。
お守りの在庫を数えるとき、お守りを直接床や棚に置いてはならない。そこは不浄なのだ。
必ず白い紙が敷かれた『折敷』と呼ばれる小さな木のトレイをつかう。トレイの中は浄。破魔矢など大きいもののときは、床に白い布や紙を広げて、浄としていたとおもう。
床に落としてしまったものは、白い紙が敷かれた『三方』と呼ばれる箱のようなものの上に丁寧に置き、偉い人が御幣をつかってお祓いをする(御幣とは、神社の人がよく持っている白くてフサフサとしたものがついた棒)。すると床に触れて不浄になってしまったものも、浄になるのだ。(と解釈している。)
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衛生観なのか、内的宗教観なのかわからないけれど、新しく買ってきたピンクのシャワー用サンダルで心の平定を図っている。
サンダルは足の裏と床とを隔てる浄と不浄のよりどころなのだ。床に跳ねた水の行方なんてしらない。私にとってサンダルは御幣となった。
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家の床はコンクリ。これは下だ。
昨日の朝、スーパーでゴザを見つけたのでさっそく部屋に敷いてみた。
相変わらず虫の通過ルートになるのかもしれないが、その空間が下から上になった気がして嬉しかった。
夜、同僚の先生が教えてくれた。
「私達も夏にゴザをよく使います。でも使う前に洗って干したほうがいいですよ。輸送で汚れていますから。」
道は追いかけるほどに遠く。
※昨日、酔っ払った同僚の先生を、彼女の親族のお家まで送っていった。そのお宅は日本の家とあまり変わらないように見えた。教員住宅と一般住宅は大きく違うようだ。
2019年08月13日 選り抜き協力隊日記
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【一口メモ】
この地面問題は悩ましく、この半年後には大きいベッドフレームで小上がりのようなものを作ろうとしていました。靴を脱いでくつろげたり、ヨガができたり、砂埃の無い場所を渇望していました。
日本に帰国してすぐは、自宅床への概念の板挟みになったものです。
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