【短編】春を愛するひと

花びら散りし葉桜のころ。
優しくて柔らかい春のようなひとを想い出す。
それは初恋のひとで、最初に失恋したひと。
片恋の切なさとよろこびと、痛みを教えてくれたひと。
叶わぬまま、桜のように儚く散った恋。
貴方への恋は、秘めたまま自ら葬った。
運命が、この恋を弔いへと導いた。

春彼岸。
大好きだった叔父さんのお墓参り。
長階段を上ると叔父さんのお墓があるお寺が見えてきた。
私と並んで階段を上るのは、叔父さんの妻の幸子おばさん。
私が最も愛したひとの奥さん。
貴方に最も愛されたひと。
幸子おばさんも、叔父さんに似てとても優しくて柔らかい雰囲気のひとだ。
私は幸子おばさんのペースに合わせて、階段をのぼってゆく。
「きょうちゃん。ありがとね」
京都訛りの柔らかい口調で、春風のように幸子おばさんが言う。
「ゆっくり行きましょう」
「せやな」
私と幸子おばさんは微笑み、ゆっくり階段をのぼる。
「あぁ。やっと着いたわ」
「お疲れ様です」
「毎度、この階段には泣かされるわ」
幸子おばさんはそう言って、腰に手をあてて腰を反した。
「少し休みますか?」
「ううん。大丈夫」
「そうですか」
「ありがとう。きょうちゃんは、ほんま優しい子やね」
「そんなことないです」
幸子おばさんの飾らない真っ直ぐな言葉に、私は後ろめたい気持ちになり、照れた振りをして俯いた。
「ほな。行こか」
幸子おばさんが微笑む。
やんわり、ほんわりと。
春風にふわりと包まれたような気分になる。
叔父さんは、この笑顔に惚れたんだろうか。
やっぱり、かなわないな。
「きょうちゃん。どないしたん?」
「え?」
「そんなに見つめられたら、照れてしまうわ」
「す、すみません」
「何で謝るん? 可笑しな子やなぁ」
そう言って、幸子おばさんは淑やかに笑う。
ほんのり艶っぽい。
あぁ……私にもこの艶っぽさが少しでもあれば、な。
やっぱり幸子おばさんは、美しい春のようなひとだ。
叔父さんに最も愛されたひとだ。
やっぱり、ふたりはお似合いだ。
私は素直にそう思った。

私と幸子おばさんは、叔父さんのお墓の掃除をして、墓前に花と和菓子を供えた。
叔父さんが大好きだった薄紫色の花と、大好物だった桜餅。
幸子おばさんは、叔父さんのお墓を愛しそうに見つめてから、静かに手を合わせた。
幸子おばさんが目を瞑るのを見届けてから、私は叔父さんのお墓を見つめた。
そして静かに手を合わせる。
しばしの沈黙。
葉桜がさわさわと揺れる。
「きょうちゃん」
幸子おばさんが、静かに口を開いた。
「ありがとう」
「はい」
「せやなくて」
「え?」
私は幸子おばさんの意図が解らず困惑する。
幸子おばさんは、叔父さんのお墓を見つめたまま、こう呟いた。
「あのひとを愛してくれて、本当にありがとう」
濁りのない清らかな言葉だった。
私は予期せぬ言葉に目を見張った。
鼓動が拍動が騒がしくなる。
密かに咲かせていた桜の花びらが、一気に灰になったような衝撃だった。
恥ずかしいやら後ろめたいやらで、私は幾重にも折り重なった感情に、複雑な表情を浮かべる。
言葉が紡げない。
「きょうちゃんに、ほんまに好きなひとができるまでは、あのひとのことを愛していてあげてな」
「たぶんずっと愛してると思います」
自分でも驚くほど素直に告げられた。
春風に誘われるように、ごく自然に。
「ほんなら、ふたりでずっと愛していこうな」
幸子おばさんが清らかに柔らかに私に微笑んだ。
「はい」
私も微笑み返す。
春がふたりを包む。
春は、やっぱり優しくて愛しい。
私は春に愛されている。
私は心底幸せな気持ちになった。

葉桜のころ。
私は愛するひとを想う。
叔父さんと、そして幸子おばさん。

同じ春を愛するひと。

「桜餅。後で一緒に食べよな」
「うん。ありがとう」

ー完ー

































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