【短編】春の酒、花冷えにや揺る躑躅

「何ともおかしな季節だ」
庭には初夏の躑躅が咲き誇り、風は未だに冬を名残て吹くや花冷え。
「冬に春に初夏……。何と、三つの季節が混在しておるではないか」
「さようでございますね」
そう応えて女は、硝子の徳利に入った冷酒をお猪口に注ぐ。
「熱燗じゃないのか?」
「いくら花冷えでも、花見は冷やで楽しみたいではありませんか?」
「そ、それはそうだな」
女はニコリと微笑み、男のお猪口に酒をつぐ。
「花見と言っても、もう桜も散ってしまった。今は葉桜を眺めるばかりよ」
「おやおや。あんなに美しく躑躅が咲いているというのに、葉桜ばかりとは」
「いやいや。気分的に、まだ躑躅はな」
「あら。気の毒な躑躅だわね。温もりで騙して咲かせたのは、春でございましょ?」
女は妙に刺のある言葉で、男の心をちくりと刺す。
ばつが悪そうに男は軽く咳払いする。
「それにしても、花冷えはいつまで続くんであろうな」
「さぁ。どうなんでしょうねぇ」
男の隣に座る女が、熱いお茶を啜りながら躑躅を切なげに見つめる。
「なんせ……春はきまぐれでございますからねぇ」
そう言ってから男の顔をちらと見る。
男はまた咳払いをした。
「あら。何だか、まるで」
そう呟いて、女がクスリと笑った。
どうした と、男が横目で女を見る。
「今のちぐはぐな季節って、まるで」
ちぐはぐという言葉に、男の眉根が寄った。
「私たちをあらわしてるようですわね」
女が口許に淑やかに指をあてながら、おかしげにわらう。
男が怪訝な顔で首を傾げる。
「ちょうど三つの季節が混在しているではありませんか? 私たちも、ちょうど三人」
「……あぁ」
女が謂わんとすることを察しながらも、男は苦く濁った表情を浮かべる。
「春は当然貴方で、初夏が私」
「……」
「花冷えとなって、未だしつこく名残る冬は、文句なく奥様だわね」
女は濁りのない明瞭な口調で告げて、男を責めるように意地悪な視線を送る。
「貴方自身の花冷えはいつまで続くのかしら、ね?」
男が降参とばかりに、頭を掻いて小さく唸る。
「君は本当に意地悪な女だ」
「貴方は本当に意気地のない男ですわ」
男は苦笑しながら、お猪口をぐいと傾ける。
喉がぐわりと熱くなる。
「春はやはり、躊躇っているのかしら?」
「……そう、だろうね」
「咲かせてしまった躑躅をどうしようか、今さら後悔しているのかしら、ね?」
男が勘弁してくれという情けない顔で女を見る。
女は男の反応が可笑しくて堪らない様子である。
まるで縫い針の先で喉元をちくちくとされているような心持ちで、女が仕込んだ酒を男は飲む。
執拗に責めながら、男の内におちる酒。
ただ痛いだけの酒である。
男はそれでも、贖罪のようにその酒を呷る。
「花冷え、か」
女が虚ろに呟く。
「悪酔強酒、ですわね」
女がわらう。
女のわらい声は、嘲り、嘆き、憐れみにも聞こえた。
そこには三つのものが混在して、清らかに濁っていた。
男は黙して、痛い酒をぐゆぐゆと飲み干した。

ー完ー

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