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弟くんは自閉症2【エッセイ】

弟くんが一人います。
弟くんはいま41才。自閉症の中年男性です。

知能発達の遅れを伴うカナー症候群という分類で、今でも幼児くらいの知能しかありません。
愛読書は『ディズニーファン』。
文字が読めないので、ページを指でパチパチ弾いたり、鼻を近づけてインクの匂いをくんくん嗅いで楽しんでいます。

ぼくが物心ついた時には、弟くんはまだ2才か3才。
多動の傾向があったので、怪獣みたいによく叫び、よく跳ね回っていました。
トイレもなかなか覚えられなかったので、居間の絨毯の上にはよく落とし物が転がっていました。

すでに自閉症児、それも重度、という診断が出ていたので、私は父母から「弟くんは病気なんだよ」と伝えられていました。
病気・・という言い方をしたのは、ぼくもまだ幼かったからで、小学校に上がる頃には、きちんと自閉症という障害について教えてくれました。
それでも当時のぼくにとって、「自閉症」は「じへいしょー」でしかなく、血液型の違いくらいにしか思っていませんでした。
どんな診断が下って、どんな病名がついていようとも、ぼくにとって弟くんは、目の前にいる弟くん以外に存在していないからです。
まあとにかく、我が弟くんは、普通とはちょっと違う変わった怪獣だということでした。


何となく思い立って、ぼくは弟くんのことを書き留めておこうと思っています。
でも、いざ書こうとすると何から書いていいものやら、迷ってしまうんですよね。

私にとって、弟くんはただの弟くん。

きょうだいのことって、何だか書きにくいものなんじゃないでしょうか。いまいち取っ掛かりが見つけにくいなと思います。

なので、分かりやすいことから書くことにします。
書いているうちに、面白いことが掘り起こされてくれたら御の字です。


まず弟くんはデカいです。

身長は185cm。
ちなみに私は167cmなので、20cm近く差があります。

弟くんの出生体重は4000gをゆうに越えていて、最初からデカかったです。
当時の写真を見ると、産着から両手両足がはみ出しています。
赤ちゃんが産まれると「かわいい!」とか「ちっちゃい!」などと声をかけられるものですが、こと弟くんに限っては親族友人が口を揃えて「デカい!」とのけぞっていたそうです。

先天性の知的障害を持って産まれた弟くんですが、肉体に関しては健康そのもの。人一倍成長していきました。
ぼくは自分の2才の誕生日の時に弟くんに背を追い越されてしまい、兄としてショックを受けたことを覚えています。
弟のお古の服を貰い続ける兄、という子ども時代を送りましたが、弟くんは横にも大きかったのでサイズが2回りは違います。結局あんまり着ていませんでしたね。

185cmの上背は、大人になるとそこまでの巨漢というわけではありませんが、子どもの頃は同年代の子たちより頭ふたつ大きかったので、目立っていました。
変な言い方になりますが、体が大きいというのは多動の傾向がある自閉症児を持つ家族には、何というか、便利なこともあります。

弟くんにはスイッチがありました。
見えないし、触れもしないのですが、何の前触れもなくONになります。
すると途端に全力疾走。
家の中でも、公園でも、スーパーでも「ああああああああ」と大声を発しながら飛んでいきます。
どこかに行きたいとか特にありません。
そうやって全力疾走すること自体が弟くんのやりたいことなのです。

弟くんが走り出すと、父や母、あるいはぼくが追いかけます。
当時ぼくら家族の中ではそれは一種の条件反射になっていました。
弟くんが走り出した1秒後には誰かがスプリントしていたのです。

だってもし迷子になってしまったら、弟くんは返ってこれません。
道も分かりませんし、そもそも家に帰らなければならないと思っているのかどうかも怪しいところです。
必死で追いかけなくてはなりませんが、幸いにして弟くんは体がデカい。
人混みに突っ込んでいってもすぐに見つけることができました。
ぼくの覚えている限り、見失ったことはありません。

ただ一度だけ、大事になったことがありました。
ぼくが7才、弟くんが6才の時です。
おぼろげなのですが、季節は春か初夏。家族でお昼ご飯を食べている時でした。
多分土曜日だったと思います。
その頃はまだ土曜の午前中だけ授業があって、ぼくは学校から帰ってきて食卓についたのでした。太陽の光が眩しい、気持ちの良い日でした。

家族四人でテレビを見ながら食事をしていました。
まだブラウン管の小さいテレビで、チャンネルを回すつまみ・・・が付いていました。昭和ですねぇ。
弟くんは何か気に入らないことがあったらしく、両目に涙を溜めてグズっていました。
自閉症児はみんな決まったマイルールを持っていて、それができないと機嫌が悪くなります。
家に帰ったらまず最初に必ず電気をつけるとか、セブンイレブンを見つけたら絶対に入らなくてはいけないとか、朝は絶対にこの番組の天気予報を流しておくとか(見てなくても流しておくことが大事です)。
小さいことなのですが、本人にとっては鉄の掟。破られるとストレスが一気に最高潮ピークに達します。逆鱗に触れる、虎の尾を踏む、まさにそういう言葉がぴったりです。

40年近く家族をやっていれば、弟くんのルールも逐一把握できるのですが、小さな頃は経験不足。ぼくら家族も何が何やらさっぱりです。
母があの手この手でなだめながらご飯を食べさせます。
赤ん坊と同じで叱って通じる相手ではありませんから、我慢比べだと思って、耐えてやり過ごすしかありません。根気の勝負なのです。
でもこの時はまだそれもよく分かっていませんでした。
何の気なしに、父が弟くんを「静かにしなさいっ」と一喝してしまいます。

突如として弟くんのスイッチがONになりました。
それまで家で食事をしている時にスイッチが入ることはなかったので、全員ふいを突かれました。
絶叫と共に弟くんは立ち上がりました。素早く回れ右をすると、開けっ放しだった掃き出し窓からぽーんと外に飛び出していきます。でも誰一人として反応することができません。三人とも茶碗と箸を持ったまま、目線だけが弟くんを追いかけます。
弟くんは裸足で庭に降りると、そのまま道路へと全速力で飛び出しました。

甲高いブレーキ音がして、白い車のバンパーが弟くんを撥ね飛ばしました。

7才のぼくはこの日、一人で布団に包まったまま、生まれて初めて神様にすがりつきました。
張り裂けそうな気持ちを、ありありと覚えています。
今では逆立ちしても、あんなに真摯に祈ることはできないでしょうね。
ぼくの命と引き換えにしてもいい。弟くんの命を助けて欲しいと、神様に何度も何度も祈っていました。本当です。

幸いにして、弟くんは軽症でした。
検査のために帰宅は翌日になりましたが、何も問題はなく擦り傷だけで帰ってきました。
この日以降、掃き出し窓には常にクレセント錠を掛けるようになり、外の門はかんぬきで閉じるようになりました。ぼくも父に必ず鍵を掛けるよう、きつくきつく言われました。
そりゃそうですよね。家族が目の前で撥ね飛ばされるのは、誰にとっても衝撃的な光景ですから。神経質にもなります。

弟くんの多動は、特別支援学校(高校)に上がる頃には、ずいぶんと落ち着いてきました。成長によるホルモンバランスの変化が影響しているらしいです。何というか、荒れる10代ということでしょうか。
この辺りは健常者とあまり変わらないのが面白いところです。



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