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猫と娘の平行世界【エッセイ】

娘が喃語をしゃべり始めた。

つい先日まで、「あーあー」「うーうー」としか言わなかったのだが、ここ数日で「ん”わ”」とか「むんい”い”い”」などと小気味いい奇声を発するようになってきた。
舌や唇まで神経が届いてきたということらしい。発達が良好でなによりである。

YouTubeで見たところによると、親が発話しているのをしっかり見せるといいそうなので、娘に顔を近づけ、口を大きく「お・は・よ」「う・ん・ち」「な・ん・ぼ」などと言い、妻に叱られてみる。
娘は面白かったのか、けたけたと両手両足を動かしながら笑う。
うむ、挨拶と排泄とギャラ交渉は生きていくうえで必須なスキルだ。早めに覚えておきたまえ。
そんな私の親馬鹿な様子を、猫たちがじっと眺めている。

猫たち。


我が家には、人間の他にオスメスのきょうだい猫が暮らしている。
メスの名前が〈グリ〉、オスの名前が〈ヨッホ〉*1。


ともに2018年の4月生まれなので、今は4歳と3ヶ月。
猫の4歳は人間でいうとアラサーくらいなので、もういい大人なわけだが、とても甘えたがりの2匹である。
壁で爪とぎをしない、非常にわきまえたやつらなのだが、あまりにも私たちに懐いているので、娘が生まれる前は心配をしていた。
「これから私たちが娘に掛かりっきりになって、猫たちは寂しがらないだろうか」と。

特にオスの〈ヨッホ〉は、毎晩かかさず腕枕で眠るほど妻にべったり。環境が変わってストレスを感じないか不安だった。しかも我が家に見知らぬお客さんが来ると、ビビってその後一週間くらい布団の中に引きこもって生活するほど繊細なやつなのだ。エサも食べなくなる。

もう一方の〈グリ〉は、目の前のことしか考えないタイプ。正確に言うと目の前のことも考えていないやつで、いくら成長してもパラメータを「すばやさ」にだけ振ってくる。いい加減もっと「かしこさ」を増やしてもらいたい。
なので、〈ヨッホ〉のように神経が衰弱する心配はなかったが、逆に傍若無人すぎて、娘を踏みつけたりしないか、引っ掻いたりしないかヒヤヒヤしていた。念のため、ベビーベッドに加えて、対グリ用の装備として猫よけの蚊帳を用意したりした。

でもいざフタを開けてみると、猫たちは思ったより冷静だった。
拍子抜けである。
寝転がっている娘の頭の匂いを嗅いだりして、一応何か別の生き物がそこにいるのだなという態度は示してみるものの、何だかあまりピンときていないようだった。
娘がぎゃんぎゃん泣き始めても、〈グリ〉は一瞥もせず、すっと他の部屋にいくだけ。〈ヨッホ〉にいたってはまったく無視してずっと寝ている。
2匹の胸中はどうだか分からないが、少なくとも表面的には動じることなく以前と同じように生活をしていた。
まあ何となく「一つ屋根の下にいる変な生き物」くらいには思ってくれているようだった。

それはそれで一安心、ほっと胸を撫で下ろした私と妻だったのだが、しだいに奇妙な感覚に陥ることになる。


2カ月が経った頃。
娘もだんだんと視力が発達し、顔の前に赤や黒など色のはっきりしたものを近づけると、おぼろげながら視線を送るようになった。私や妻が視界に入ると、ニコリと笑顔になることも増えていった。
いくら我が子とはいえ、生まれたばかりでまったく反応がないと、人間つまらないものである。こうやってわずかでもコミュニケーションが取れるようになって初めて、家族としての愛情が生まれてくるものだと思う。
首が座り始めて、自分で左右に顔を向けられるようになると、生身の人間だけではなく、目のついた人形や音のでるおもちゃにも興味を持つようになった。
日に日に外の世界を認識していく娘を見るのは嬉しいものであった。

ところが、である。

外界からの刺激に対して、鮮やかな反応を示すようになった娘だが、何故か猫たちに対してはまったくの無反応だった。

猫が近くを通ってもまったくの無視。
寝転がった頭を今にも踏みそうなほど近くにいるのに、目で追うどころか、モロー反射*2すらしない。
寝ているときに、私が物音を立てるとすぐに起きてしまうが、猫たちがいくらニャアニャアうるさく鳴いていても、決して起きないのだ。
目の前に〈ヨッホ〉の顔を近づけてみても、何だか目線は遠くを見ている。
妻もこれには不思議がって首を傾げていた。

猫たちもやはり娘をあまり気にしていないままだ。
娘を抱いてソファに座っていても、以前と同じように甘え始め、腕や膝にあごをぐいぐいと擦り付けてくる。
でも娘のほうは見向きもしない。そこに相手がいるという情報、インフォメーションはあっても、コミュニケーションが全然発生していない。
私と娘が一緒にいても、私にしか意志を向けてこないのである。

猫には娘が、娘には猫がまだ「存在」として感じられていないようなのだ。
私たちが壁や床を「物体」として把握していても、意志をもった「存在」として認識していないように。
まるで赤ん坊と猫が別の世界線にいるようで、ちょっと気味の悪い感じさえしてしまった。


最近はだんだんと娘のほうが猫を「なんだか動くもの」として認識してきたようで、ちょっと猫のほうを向いたりするなど進歩の兆しが見られてきた。
猫たちの方は残念ながら相変わらずである。
おそらくこのまま娘が成長して、猫たちの「存在」に初めて気がついたときがターニングポイントになるに違いない。
そうなってくれるといいなと思う。

それまでの我が家は、「私・妻・娘」の世界Aと、「私・妻・猫たち」の世界B、ふたつの世界が平行し、一部だけが時折重なりあうという不可思議な家庭。
そうとして浮かび上がっているに違いない。


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*1 この変わった名前の由来を『聞き返される飼い猫の名前』というタイトルで先日noteに書いた。

*2 赤ちゃんが生まれつきもっている、原始反射と呼ばれる反射的な運動のひとつ。外からの刺激に反応し、抱っこを求めるように腕を広げる動作。樹上からの落下を防ぐためと言われているが、今は樹上で暮らしている家族はあまりいないと思われる。


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