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死んでも解らないと思う。

子供の時に「生きて居たくない。」と思った人は居るだろうか?

子供はそんな考えを持たないって思われがちだけど、現実にはそうでは無い。

私はしょっちゅうだった。

子供って、思った以上に人間の存在意義を考えたりしている、私は頭が良い方じゃ無かったけど、考えていたのだから、他の子はもっと考えているのだと思う。

女の子だから、家事を覚えてちゃんとできる様にならないとと言われて、小学校から家事をしだした。

弟は自分の出した玩具も片付けないのに、私は家の掃除や洗濯、料理をするのに疑問が無いわけでは無かった。

それも母にこれをしなさい、これをしては駄目だと言われて、それに従うのが習い性になってしまって、それが当たり前だと思う、そう思う様に頭に刻みつけれれていた。

何故私は家事をしなければならないのか?何故自分の楽しみを優先してはいけないのか?そう考えて、何故生きるかに行きついた。

人はなぜ生きるかって根源的な質問に子供の私は考え込んだ、何故だか解らない。

今なら解らなくても当然で、生きていく内にその疑問が氷解していくんだろうと思う。

氷山の氷が解けるみたいに、ゆっくりと少しづつ溶けて、解け切らない内に人は生を終えるのだと思う。

だけどその時期は、生きて居たくない、生きている理由がない、生きている意味がないと、自分の中ではナイナイ尽くしで、兎に角この状況が変わらないと解らないんだろうと漠然と考え込んでいた。

生きる死ぬって相反する言葉の様に思われがちだけど、そうじゃ無いと思う。

同じ延長線上にある時間軸の中で、人間の選択肢の中に有る時間の核なんだろうな。

あの時の私は親に言われたと言っても、反発すればいいじゃないとか、何で反抗しなかったのとか、きっと他人には説教されるんだろうな。

その他人はきっといい関係を親と持っていたんだろうな、私には出来ないもん。

今か考えても何故反抗しなかったのか解らない、きっと反抗したら要らない子だと言われると思っていたんだろうね。

まあ子供の頃から従うのを強要されると、人間は考えずに従ってしまうからね。

弟だけ母と旅行に行ったり、弟だけお弁当の文句を言ったり、弟だけ親に反抗しているの見ていると、羨ましく思ったよね。

他人に聞くと、親に反抗している時期を通って大人に成った人の方が多いみたい、自分とは違って反抗しても愛して貰えるって、根源的な信頼が親に有ったのだろうね。

今の自分はその頃よりも強くなって、その頃よりも自由になった、だけどまだ何故生きるかは解らない。

きっと死んだも解らないんだろうね。






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