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人生の夏休み

明日、休む。
休むっていうか……もう、行かない。

宿題が終わらなかった8月31日の小学生のようなことを母に言った。
28年間生きてきて、こんなに明確に母に甘えたのは初めてだったと思う。

雨が降る日曜日の深夜。
いわゆるブラック企業に勤めていた私の心と体は、とうとう限界を迎えた。

限界を迎えた「ことにした」というのが、正しいかもしれない。
ある日突然、会社に来なくなる人を何人も見てきたし、
自分で決断さえすれば、本当はいつでも辞めることができた。

それでも、
逃げちゃダメだ。まだできる。がんばれる。
これで死ぬわけじゃない――
3年間で何万回も自分に言い聞かせてきた。
そう思いたかったし、あの日までは思ってた。

結局、何が決め手だったのか、自分でもわからない。

でも私は、大好きな私自身のことを、
ほかでもない私が全然、大事にできていないって気づいてしまった。

こんなに可愛くて、賢くて、おもしろくて、センスがよくて、優しい、
生まれ変わっても私になりたいって断言できる魅力的な人間が、

こんなクソみてえなクソの吹き溜まりで、
心も体もすり減らして、
輝かしい人生のほんの一瞬であっても、
クソとともに過ごすなど、絶対にあってはならないと、
思えたし、思わせてくれた家族や友達がいた。

今日から休ませてください。
というかもう、このまま辞めさせてもらいます。
こんなクソみてえな会社とは金輪際関わりません、あばよクソども!

と、言えたらよかったけど、私は上品で育ちがいいので、
少しだけ言葉を濁しつつ、きっちり文句を言って退職した。

私のしでかしたことは、けっして褒められたものではない。
いままで、宿題をさぼったことも、単位を落としたことも、
留年したことも、仕事でとんでもないミスをやらかしたこともあるけど、
そのなかでもずば抜けて「やらかした」事案といえる。

自分で決めて、自分でやったことだけど、
落ち込んだし、怖かったし、苦しかった。
こうして文章にできるまでに、2カ月かかる程度には。

そしていま無職。

毎日、やらなきゃいけないことも、
誰かに「これやって」って頼まれることもない。

私は「からっぽ」になり、ゼロになり、
たったひとりでスタート地点に立ち、
「誰にも束縛されず自由に生きる」喜びと、
「誰にも束縛されず孤独に生きる」重圧と、ともにいる。

平成最後の夏、そして初めての「人生の夏休み」。

休みはholiday、でも夏休みはvacation。
英語のholidayとvacationには明確な区別があると勝手に思っていて、

holidayはholy=神聖なる宗教上のお休み
vacationはvacant=からっぽなお休み、な~んにもしないお休み

と解釈している。私は。
なんにもない、からっぽの夏休み。

思い出されるのは、中高で使った国語便覧の裏表紙にあった一句。

「まだ何も 書かれていない 予定表
 なんでも書ける これから書ける」

俵万智さんからのこのエールを、私自身に送りたい。


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