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はじめての船旅は、小笠原ひとり旅②「ひとり旅は、わたし自身と会話する」編

わたしはひとり旅が好きでした。自分自身と会話しながらの旅~それがひとり旅の醍醐味でもあるし、目的のようにも思えます。

旅行中に、「何をみて、どう感じたか」はもちろん、
たとえば、こんなとき・・・



ひとりで、見知らぬ町を歩いているとき。

はじめての場所に向かって、期待が広がってワクワクしながらも・・・ちょっとの戸惑いや不安も同居しながら、バスや電車で移動している時。

ひとりでカフェや食事をする場所に入って、店の雰囲気を感じながら、近くにいる人たちの会話が何気なくBGMとして入ってきながら。

特に夕暮れ時は、ひとりの食事が少しだけ寂しく感じてしまうとき。

はじめての町の、はじめての宿、ベッドの上で。


こんな旅の場面、場面で、ひとりでなくては決して出来ない、「自分との会話」をしているのだなあ、と思います。わたしはいつも、そうでした。


まったく同じように感じる人はいない。わたしはどう感じているのかを育む旅と、ひとり時間


お友達というのは、感性が似ている部分があったから「気が合って、仲良くなった」としても、すべて同じように感じたり、考えたりする人はいません。


わたしは、お友達と会っても、その後の一人の時間を必要として、自分の感じていることを咀嚼してみたり、クールダウンする習慣があります。

それに、お友達ではない、個人間のパーソナリティをあまり知らない集団でのお付き合いも日常的にありますね。

わたしの場合、他の方の感想と、自分の感覚がけっこう違う時は、あえて、そっと胸の中に置いておくのが、自分らしくて心地よくなりました。

そしてその後ひとりになって、その感情を取り出して、のびのびとさせてあげることもよくしています。


こんなふうに、旅でなくても、ひとりの時間での自分との会話を大切にしていますが、日常を離れた旅では、いっそう深く自分と会話するチャンスが生まれます。

旅が人生の転機になりやすかったり、すごく大事な気づきがある理由がよく分かります。実際、わたしにも何度かありました✨


今だけではなくて、わたしの過去とも会話している


それに、いま現在だけではなくて、「あのとき、こうだった」という、過去の出来事も、ひとり旅のあらゆるシチュエーションで、呼び起こされて、自分の感情との会話がはじまっていきました。


そこで、これまではわからなかった「そうだったんだ」「そういうこと、だったんだ」と腑に落ちることもしばしば。


転地療養は、自然など環境が良いところで療養することをいうのですが、旅行にも、日常から離れて、これまでの景色や見知らぬ人に囲まれるという点から、似ている部分がありそうです。

量子力学的に言うと、いつもとは、エネルギーフィールドが違う場に行く。ということでしょうか?✨少なくても、土地土地に固有の雰囲気があることは、わたしでも肌で感じます。


ひとり旅での人との会話は、とてもあたたかみがある新鮮さを感じる


人と一緒にいて、感化されて気づくこと、
ひとりで自分との会話で気づくこと。

その両方が、あるんじゃないかと思います。

ひとり旅は、自分との会話がどんどん進んで行きます。
ひとり旅と言っても、旅の途中、要所要所で出会いがあって、短くても、心に触れるやりとりも、自分次第でいくらでも生まれて来ます。

わたしはその新鮮さが大好きです。

知らない町で、自分との会話を続けていると、ふと、誰かと触れ合いたい気分になる時がある。そういったとき、にこやかな笑顔で、いつもよりフレンドリーになれてしまう自分がいます。

「ひとり旅」人と人のつながりって、やっぱりいいなあ、って思うのは、こんな時でもあるから不思議です。


次回は、小笠原ひとり旅に戻って、③をnoteする予定です。よかったらまた来てみてくださいね😊

noteをはじめて1か月がたったみたいです。
記事を目に留めていただいた方に、ありがとうございました✨✨✨

わたしも、この1か月間、何度もnoteのステキなクリエーターさんの記事から、よきものをいただけたことに感謝です💓


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