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都会生まれ、田舎育ちが思うこと

わたしは首都圏のベッドタウンに生まれ、9歳から18歳まで北関東の地方都市に住んでいた。大学進学を契機に、大都市圏に引っ越したため、幼少期に暮らした土地のような環境に暮らしていることになる。

そこで都会と田舎、という永遠の二項対立を痛感することになる。

この記事では教育という観点に沿って、都会と田舎の違いについて述べて行こうと思う。

エッセイ調+私の主観ゴリゴリの記事なので、大した考察にはなっていない。そこのところ、悪しからず。

まずは私の過ごした土地について紹介しよう。

文教地区の豊かさとは

幼少期を過ごしたのは、東京近郊のベッドタウン。

父親は満員電車に揺られ、東京23区内にあるオフィスに通勤していた。

おそらく、そこの住人の多くは東京に通勤していたと思われる。

最寄りの路線は、朝のラッシュがひどくて有名だった。

幼稚園の専用バスで通学していた私は通勤ラッシュなどつゆしらず、快適な生活を送っていた。

その街は徒歩圏で生活のほとんどが揃う街だった。

5分歩けば、スーパーも薬局も本屋に行けた。

10分歩けば、複数の路線が乗り入れる駅や巨大ショッピングモールにたどり着けた。

住民の生活レベルも高水準にあったらしい。当時の私は知らなかった。

私の幼馴染の多くが私立の中高に進学し、早慶上智あたりに進学していることを鑑みると、それは明らかだろう。

早ければ幼稚園の時点で学習塾に通い、受験を見据えた勉強をすることは当たり前だった。

多くの同級生は毎日のように習い事に行っていた。

私の親も例外でなく、教育熱心で幼児教室のようなものに通っていたことを記憶している。

ただ、私の家は経済的に特別恵まれていたわけではないので、家計は常に火の車だったらしい。

母親は、必死で生活費のやりくりをし、子どもの教育費に充てていた。

「うちは教育費貧乏ね」

何度も母親がため息交じりに言っていた言葉である。

そもそも、私の両親は双方ともに学歴コンプレックスを抱いていたため、教育への熱の入れようはそれなりのものだったと思う。

「子どもの選択肢を広げてあげるのが親の役目だから」

と両親は繰り返し私に告げていた。

(幸い、私の親は行き過ぎたマネをするわけではなかったので、勉強が嫌いになることはなかった。本当に親には感謝している)

この教育熱の裏側には、もちろん環境要因もある。

その地区は、文教地区だったので、親の教育意識もものすごく高かった。公立小学校なのに、学校のレベルは異様に高かったらしい。

いわゆる「ママ友」も、みな教育熱心の人だったらしく、塾や幼児教室の情報交換を行うのはママ友のネットワーク内であった。

ひとことで言うと、選択肢がものすごく多かった。

往々にして言われることだが、都市部は選択肢が氾濫している土地である。享受できるサービスが多すぎる。

親は言っていた。

「都会はお金があれば楽しい場所だよ」

裏をかえせば、「お金がないとつまらない場所」。

つまり、最適な選択肢を選び取ることができるのは資本力の大きい者だけ。

教育サービスの恩恵を享受することはできたが、それ以外のサービスまで手は出せなかった。

幼馴染はみな、海外旅行を楽しみ、ブランド服を身に纏っていた。

幸い、私は小学校低学年の段階でこの土地をあとにしたため、惨めさを感じたことはない。この地に育っていたなら、裕福な友人に対して引け目を感じていたのではないかと思う。

(繰り返すようだが、親にはものすごく感謝しており、文句を言うつもりはない)

地方都市から見える世界

小3から北関東の地方都市に移り住んだ。車がなければ何もできない土地である。

残念ながら、私はその土地に馴染めなかった。一見さんお断り、の土地だったから。

小学校での所属グループは、おおよそ出身幼稚園で決められていた。それはママ友の勢力図とも一致する。

外部から来た私は、そのグループのどこにも所属することはできなかった。

その時々で所属グループをローテーションしていたのだったが、正式なメンバーとして迎えられることはなかった。

母親も、ママ友の派閥に入ることができず、授業参観はいつもひとりだった。

狭い世界。

私はこの息苦しい社会が嫌いだが、それはさておき子どもをとりまく状況について述べておこう。

上記の文教地区とは対照的に、中学受験する子はほとんどいなかった。

もちろん、田舎ながら学習塾はあったので、惰性で通う子は多かったのだが、進学塾ではない。サ○ックスのような学習塾がないので、必死で勉強する子などいなかった。

(幼少期から公文に通い、小学生ながら高校数学に取り組む子はいなくはなかったのだが…)

小学生が小学生として生きれる土地だったと思う。
高学年になっても、気兼ねなく友達と遊べるところ。

そういう意味では、気楽に暮らせて良かった。

中学に入ってやっと、順位づけされる現実が突き付けられる。

高校受験という目標が見えてきて、進路というものの解像度が高くなった。

中学を卒業し、自称進学校とされる某女子高に入学するも、保守的な土地の一側面を垣間見た。

「女の子が県外に行くなんて…」

という考えの保護者が多かった。

わたしの女子高に限ったことではないと思われるが、「女の子の旅立ち」を是としない風潮は根強く残っていた。

進路指導主事は「もっとみなさんには県外に飛び出してほしいんですけどねぇ、なんせ保護者の反対が強いもので…」と。

県外に進学出来たわたしは幸せである。

ただ、この風潮が障壁となり、県外の大学に行けなかった子は何人も見てきた。(経済的事情のみならず…)

土地というものの縛りが強い土地であったともいえよう。

中学の同期は、今でも中学の友だちと頻繁に飲んでいる。その光景は「地元サイコー」という旨のキャプションとともに、インスタグラムのタイムラインに放たれている。(私は地元に友達がいない…というルサンチマンのような感情に苛まれ、インスタグラムのアカウントを変えて地元との関わりを絶った)

是非は措いといて、固定のコミュニティから一歩も外に出ない人が多いのだ。

わたしはコミュニティの外にいたから、中学の同窓会に出席しても二次会に呼ばれることはなかった。もちろん、その場しのぎの会話ができる人は多数いる。

私情が混ざってるせいか、田舎嫌いが顕著に反映されているが、地方を否定したくはない。

選択肢が限られているからこそ、ゆっくりと暮らせる点は本当に良い点だと思う。

選択肢の少なさはある意味、ハンデとなりうるが、幸福度が低くなるとは限らないのかもしれない。

ただ、コミュニティからあぶれたら一巻の終わり。こんな環境から抜け出すために、必死で勉強して遠く離れた大学に進学したわたしの場合、勉強は一つの救済ツールだった。

同じように、田舎のコミュニティから抜け出すために必死に勉強する高校生は少なからず存在するだろう。しかし、都市部との差は歴然としている。

近所に大手予備校が存在しない。模試を受けるためには、一時間電車に揺られなきゃいけない。大学のオープンキャンパスに行くためには、数時間の長旅が必要だ。

もちろんオンライン会議の普及により、一部格差は埋まりつつあると言えるが、根本的な格差は依然として残っている。

再び大都市に引っ越して思うこと

大学に進学するため、再び都市圏に住むことになった。

大学の同期には、都市で育った人も多く、カルチャーショックを受けることもしばしば。(ちなみに、わたしの通う大学は地方出身者も少なくないので、居心地は悪くない)

格差を感じるのは、塾講師のアルバイトに従事していた時だった。

教育サービスがあまりにも多様で驚いてしまった。

「都会に住めばこんなサービスも享受できるんだ…!」といちいち驚いていたのだった。

「あんな土地で育ったのに、よく私は大学入試の荒波を乗り越えられたなぁ」という思い上がりが過ることもある。

この記事自体、「田舎育ちというハンデを負ったのに、大学入試で成功を収められた経験」に要約されうるから、一部の人は不快に思うだろう。

成功談をひけらかしたいわけではないので、ここで断っておこう。

潜在的な差について私は深く知りたいのだ。

機会の差は目に見えるものだが、それ以前のキャリア設計の時点で都会の人間と田舎の人間は大きく異なっている。

もちろん、ここでの「都会の人間」の定義にも語弊がありそうなので、細かく定義しよう。

私が言う「都会の人間」とは、幼馴染のような人のことである。幼少期から飽くなき競争社会に属し、将来的にも成功を収めようと躍起になる人たち。

対照的に「地方の人間」は、地元のコミュニティへの志向が強い人のことをここでは指したい。社会的な成功よりもコミュニティ内での立ち位置の方に重きを置いている。(もちろん、地方に住むひとがみなこうであるとは定義できないだろう。事実、地方の進学校には前者のような向上心であふれた生徒が多くいるのだから…)

どちらかというと、私は前者の考え方に毒されてきたといえよう。

「いい大学に行って、いい就職先を見つけて…」

強迫観念のように、私を追い詰めていた。

そして、「クソみたいな地元から出るためには勉強しなきゃ!」とも思っていたので面倒だった。

ローカルな世界に足をつけることが出来たならば、もしかしたら県内の大学に進学していたのかもしれない。

それはできなかった。地元に所属できるコミュニティはない。

どちらがいいのか、私には分からないが、私は都会の価値観にどっぷり浸っているのは事実だ。

だから、「地方にも機会を!」と声高に叫んでしまうのかもしれない。必ずしも機会を均衡にする必要はなかったりして…とも時折思うが、地方の学生のハンデを軽減したいとは考えている。

ああ、私は都会の価値観に(以下略)…とか思いながら、将来的には地方にも多様な選択肢を用意したいな、といろいろなプランを考えている。どれも実現できそうにはないけど。

そもそも、都会と田舎という二項対立はあまりにも雑なのかもしれない。この前提について、もう少し深く考察する必要があると思われる。

これから、このテーマに軸を設けて、深くアプローチしていきたい。

今回は「都会と田舎~教育について」というテーマで執筆してみました。



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