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本当に自分の心が動く事をしよう

皆さんこんにちは、バリ島からさっちゃんです。


音声で聞きたい方はこちらからどうぞ


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世の中には目を奪われるものが沢山あるけれど
心を奪われるものだけを選びなさい
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 ネイティブアメリカンの言葉にこういう言葉があります。


特に今の世の中、企業は多くの商品を売ろうと、あの手この手でマーケティングを仕掛けています。

テレビの広告もそう、SNSのインフルエンサーもそう、街中を歩いているだけでも、SNSを毎日見ているだけでも沢山の広告で溢れています。


人間は3回その商品を見ると欲しくなると言われています。

例えばテレビである商品の広告を見ました。

ふとみたFacebookで知らない人がその商品を持っていました。

その後電車に乗ったらその商品を持っている人を見かけました。

そこで私たち人間はその商品が流行っているんだ、という事を認識すると欲しくなります。


あなたがその商品を購入するなるまでに、あなたの心は動かされたでしょうか?

もし心が動いていないのに買ってしまったのであれば、それは心が欲しがっているのではなく、目が欲しがっているだけだった、浪費だと私は思います


つい先日私の親友からこんな話を聞きました。

これは実話で、その時に私は「さすがは私の親友!」と心の底から拍手を送りました。


私の友人は会社で大変な仕事を任されたのですが、その報酬として自分の欲しい物を買ってくれる、という社長からの言葉を受け、社長と買い物に行ったそうです。

先ず最初に社長から勧められたのは100万円以上する時計!!

それを見た友人は、
「私は時計には興味がないので要りません」
と言いました。


この時点で凄い!って思いました。


私でもそんな高級時計を買ってくれるというのであれば、自分は使わなくても買ってもらって、他に売ってもいいか、なんてよこしまな事を考えてしまいそうです。


最終的に彼女が選んだのはコート
それも「値札を見ずに


この値札を見ずに、の意味わかりますか?


そのコートはもしかしたら1万円かもしれないし、100万円かもしれないですよね。でも彼女はそのコートを一目見て気に入り、「これ!」と決めました。


自分が買うわけではないのだけれど、人は買う前に自然と値段を見てしまうと思うのです。

だっていくらの買い物でもできるのに、庶民の感覚からしたらその商品が1万円だったら、なんとなく損した気分になると思いませんか。


でも彼女は常に「自分が本当に好きなもの」しか持たない主義なんだと思います。


結果彼女の選んだコートは50万円だったそうです。
でもそれは結果論ですよね。


事前に100万円以上の物を勧められていたのにも関わらず、それを拒否し本当に自分の好きなものを選ぶそんな彼女の事を、私は本当に凄いなと思い、そして親友であることを誇らしく思いました。


損得勘定で考えていたら50万円も損したと思うでしょう。


その話を聞いた時、初めに書いたネイティブアメリカンの言葉を思い出しました。

それと同時に、私はちゃんと自分の心が動いたものだけを買っているかな?と自問しました。


これは「物」だけではありません。
普段の行動も、全てにおいてそうだと思います。


本当に自分の心が動いたものを普段から選択しているかな?


これを意識することはとっても大切なことだと改めて思いました。
人はどうしても損得勘定で判断しがちです。

この人と付き合っていた方が得
こっちの仕事を選んだ方が自分の評価が上がる
こっちの方が儲かる


でも本来、それらの利益は後から付いてくるものなのではないかな?と思います。


さらに私は、利益とは自分で得るものではなくもたらされるものだと思っています。


ただただ、自分と向き合い、自分の心に素直に従い、自分のためにひたすら進んでいく。

そうすると、もしかするとその様子が誰かの心を動かすかもしれない。
そして、その時に他の人から利益がもたらされるのではないかな?
と最近思います。



仏教では利他の心で生きる事を伝えています。

その昔私はこの「利他の心」と「自分のため」が矛盾していると思っていました。

利他的に生きるって、他の人の事を優先するのだから自分を犠牲にしなければいけないのではないか?そう感じますよね。

でもこの2つには大きな違いがあります。

利他は、人のために何かをし、人の喜ぶ顔が見たいがためにすること
自己犠牲は、利他をしている自分の姿に酔いしれていること


利他は、人の喜ぶ事自体が自分のためなんです。

「誰かに何かをしてあげている」自分ってかっこいいと思っているのであれば、それは利他の心ではなく、自己中心なのです。


そして自己中心の後ろには必ず自己犠牲の気持ちがあります。
だからこういう人は決まって「やってあげている」と言います。


本当の利他は相手から何の見返りも求めません。自分がさせていただいた、その事が嬉しいのです。


シンプルに言うと「自分ができる事を自然にすればいい」と私は思います。


そもそも人間には、本能的に利他行動をとるようにプログラミングされているそうです。


子育てしたことのあるお母さんや、小さな子どもと過ごしたことのある人であれば、子どもが食べ物をお母さんや大人にあげるのを見たことがあると思います。

子どもは自分が食べて幸せなものを、お母さんにも分けあたえ、お母さんの笑顔を見たい、そう思っているのです。

そこには自己犠牲はありません。
子どもは正直ですから、自分が食べたい時は自分が食べます。


さらに子どもは、大人がその物をもらってくれればそれで満足しませんか?
「ありがとうがないよ」なんて事は言わないですよね(笑)


それが利他の心です。
是非自分の心に手を当てて聞いてみてください。
今まで損得で何かを選択してきていないかな?


もしも思い当たることがあれば、本当はどうしたいかな
今までの事はどうでもいいんです。
大切なのはこれからです。


もしもあなたがこれを読んで、何か心に引っかかることがあったとしたら、是非これからの自分を変えるきっかけにしてみてください。


」は、これからとびっきり素敵な未来の過ごすあなたの過去です。
今変われば未来は最高な未来になります。

でも今変わらなければ、きっと未来も今のままです。


大丈夫です。あなたは絶対にとびきり素敵な未来を過ごしています。
 今日も長い文章を読んで頂きありがとうございました。


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