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超人見知りな私が海外に住んでいる理由 その④

バリ島からこんにちは、さっちゃんです。

シリーズ?超人見知りな私が海外に住んでいる理由、是非今までの分も読んでみてください。
「超人見知りな私が海外に住んでいる理由 その①」
「超人見知りな私が海外に住んでいる理由 その②」
「超人見知りな私が海外に住んでいる理由 その③」

私は2010年4月、生まれて初めて訪れる都市「ジャカルタ」へ降り立ちました。
初めて訪れたジャカルタでの一言・・・

えっ!?ナニコレ??
ココハドコデスカ??

そう。私が知っている「インドネシア」ではなかった(笑)

私が知っていたインドネシア(バリ島)はこんな景色

そして今回私が初めて訪れたインドネシア(ジャカルタ)はこれ

目が点だった(笑)
高層ビルを見上げながら、あれ?私が働いていた新宿と変わらないような景色・・・

そんなことを空港のタクシーに乗りながら思い、
少しの後悔と、ホームシックならぬバリ島シックになりました(笑)

大学の入学金も授業料も払ったけれど、学校はまだ始まっていない。
いっそのことこのままバリ島へ行ってしまおうか?何度もそんなことが脳裏を横切りました。

きっと今の私だったら、そう思った時点で行ってると思います。でもまだまだ超真面目ちゃんな当時の私にはそんなことはできませんでした。

楽しい、大好きなインドネシアへやってきたはずなのに、何故か暗い顔をしているその時の私を今でもはっきりと覚えています。


知らない街中に放り込まれて(←私が自分で選んだのに)怖いし、どうするのよこれ!!


ってまるで誰かに強制されたかのような言い分だった当時の私




それでもね・・・
人間って強いのよ
私にも意地ってものがあったのよね


そして無事に?到着から約1か月後インドネシア大学での授業が始まりました。


せめてもの救いは、私の通っていたインドネシア大学はジャカルタという都会のど真ん中ではなく、郊外にある町(デポック)という場所にキャンパスがありました。
関東で言うと、ジャカルタが新宿だとすると、千葉にあるようなイメージ。移動時間も1時間くらい。その郊外にある町で私は毎日楽しく学生生活を送るのです。
大人になってから学生生活するってものすごく楽しいんですよ。子どものころの学生生活と違って、自分の好きなことを学んでいるわけだからそりゃあ楽しいですよね。


こんな通学路日本じゃありえないでしょ?(笑)
私の住んでいるアパートから大学迄最短距離で行くためには、線路を渡らないといけないんですが、踏切はないんです。えっ!?電車に轢かれるじゃん!って思うでしょ?
でも一応見張り番のお兄ちゃんがいて、電車の時間を把握しているのか、目視なのか、音を聞いているのかわからないけど、Go/Stopはお兄ちゃんが合図してくれる。
でもそんなお兄ちゃんに命を預けている私たちって(笑)



学生生活はとっても楽しかったんですが、当時の私を一言で表現すると・・・
ガチガチ
頭もガチガチ


この前の記事にも書いたけど、とにかくインドネシア語を完璧にしようと思っていた私は、先生に
「なんで?なんで?」
って食って掛かるような、なんとなく攻撃的な面倒くさい生徒でした(笑)
ど真面目
面白さゼロ

まあそれだけ必死だったという事です。
今だから笑って話せるそんな話も、当時の先生たちからは、サチは大変だった・・・なんていわれてしまうほど。
でもね、この世は全てはマイナスがあればプラスがある!そのおかげで私はインドネシア語には相当自信があります!



ジャカルタという都会の生活に完全に慣れた私は、バリ島シックも忘れ、1年半の留学生活が終了した後そのままインドネシアでの生活を続けたいと思い、現地の日本企業への就職を決めました。



いや、正直に言うとバリ島への想いを忘れたわけではありません。
留学が終わった後、私は一度バリ島へ移住をしスパで働こうと考えていました。色んなスパ学校を探し、色々と妄想をしました。バリ島のスパ学校でスパを習い、将来は自分のスパを開業する♪素敵じゃない~なんて。


しかし、そんな夢みたいな妄想も現実を見ると消え去るのです・・・
そう一番重要な事。お金がない!!

留学の費用は今まで私が日本で働いてきた貯金でまかなってきましたが、その貯金の底が見えていたその当時、もしもさらに何かを学ぼうとすると、そのお金はどこかから調達しなければなりません。


30も過ぎていい歳をして、なんのためらいもなく親から借りようなんて思っていた私。親に私の夢物語を語ったら、親からはバッサリと切り捨てられました(笑)そりゃそうですよね。

そこで私の夢は打ち切られてしまうのです。


あぁ・・・バリ島生活はやっぱり無理か・・・


そう思いながら、私はジャカルタで就職活動をするのでした。
そしたらね、日本では決して相手をしていただけないような大手企業が、インドネシア現地法人ではどんどん内定を出してくれることを知ったのです!

え!?こんな私でもこんな会社で働けるの??と、その時は驚きました。 
今の私を知っている人は、そんな大企業にあなた興味ある?って思うかもしれませんが(笑)当時の私はネームバリューに相当弱い人だったんで・・・


なぜにそれほどまでにそんな大きな会社から内定をもらったのか?
そう、私の大きな強みは語学とサバイバル能力!

留学時代の私は、ローカル生活を送り、インドネシア人の友達たちと
つるんでいたため、電車だってバスだって乗れるし、
ビザの手続きや役所での手続きだって全部自分でやっていました。


日本にいると当たり前に思えるこんなことも、インドネシアでは全然当たり前ではないんです。
インドネシアでの役所手続きはとにかく煩雑。普通の外国人はエージェントを使い、お金を払ってお願いします。なぜなら、何回も何回も役所へ行かないと手続きが終わらないんです。

例えば、住民登録をしようとしますね。
日本だったら、必要書類を持っていったらきっと1回や2回で終了すると思います。でも、ここインドネシアでは、
1回目:役所へ行き申込書をもらう
2回目:記入した申込書と必要書類を渡す
3回目:手続き費用を支払いに行く
4回目:受け取りに行く
と、最低でも4回は行かなければいけないのです。
日本人の私はなぜその場で支払いをさせてくれないのだ!!
と思うのですが、書類を受け取る部署と支払いの部署が違うので
その場で役所の部署間連結が取れないのです。


それもバスを乗り継いで1時間もかかるところへ行くと思ったらどうですか?気が遠くなりそうじゃないですか?今だったらタクシーで行くのは間違いないのですが、留学生時代はとにかく節約、節約。往復で1,500円かかるタクシーと、100円で行けるバスだったら間違いなく後者を選びますよね。


と話が脱線し長くなりましたが、そんなサバイバル能力を持っていて、さらにインドネシア語と英語が流暢な私は、有難いことに大手企業から沢山オファーを頂き、とある企業へと就職することを決めました。

それが今私が勤めている、とある会社です。有難いことに2012年から働き始め10年が経過しました。


この就職が決まったころに私はあることに気が付きました。


インドネシアで暮らしたこの2年間、相当大変なことが沢山ありました。役所の手続きみたいに、イライラすることなんて五万とありました。


でもね・・・

一度もホームシックになったことがなかったのです。
本当に一度も日本へ帰りたいと思ったことがなかったんです。


留学生時代は一度も日本に帰っていません。日本への航空券代が勿体ないというのもあったとは思いますが、とにかくインドネシアでの生活が楽しすぎたんです!長期休みはインドネシア国内を旅して楽しんでいましたし、インドネシア特有の不自由さをとにかく楽しんでいたと思います。


今までは超真面目な私が、自分の思い通りにならないこのインドネシアという国で沢山の「こうあるべき」を強制的に剥がされていったんだと思います。


超人見知りで人に話しかけられなかった私は、陽気で空気なんて全く読まないインドネシア人に助けられ、人見知りでなんていられなくなっていたんです。
コンビニでも、レストランでも、銀行でも、道端でも。こちらが話したくなくても、私が外国人だというだけで勝手に話しかけてくるんですから(笑)


レストランで何かをお願いなんてすることもできなかった私が、メニューにない料理を作ってもらうようにまでなるなんて日本にいたころには想像もできませんでした。


子どものころから海外に住みたいと思っていた超人見知りな私は、結果夢がかない海外に住んでみたら超人見知りがなくなっていた。


タイトルにある、超人見知りな私が海外に住んでいる理由、それはそもそも私の固定概念だったこともわかりました。
私の中で外国に住んでいる人は陽気で、積極的で、Hey Yo!と誰にでも気軽に話しかけられるような人だけだと思っていました。
それが自分が10年以上海外に住んでみて、海外に住むことなんて何も特別な事なんかじゃない、って事がよくわかりました。


私が今まで海外に住んでみて、私が今インドネシアに住んでいるその理由・私がここに住んで思ったこと:
 
*とにかく子どものころからの「海外に住みたい」という夢を追っていた結果
*たまたま自分にとってインドネシアという国が合っていた
*誰彼構わず話しかけるインドネシア人のお陰で、強制的に人見知りを克服できた
*海外に住むことで自分の固定概念が崩された
*人見知りなんて単なる自意識過剰
*とにかく自分が本当にやりたい事、一生でやってみたいことは絶対やった方がいい!
 どんな人だって自分が本当に叶えたいことは叶えられるんだ!という事を私は心から体感しています。


ちなみに今現在の私は、さらに本当の自分の夢であったバリ島への移住もほぼ8割叶っています。その夢を叶えた方法も今後ご紹介していきたいと思います。


シリーズでお届け致しました長い文章
最後まで読んで頂きましてありがとうございます!!


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