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がん患者本人と家族の感じ方を比較してみた // キセキ24

こんにちは。
幸紗チサ(さちさちさ)です。ご訪問ありがとうございます!

この記事は、こちらのマガジンの記事です。

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あっという間に8月末ですね!残暑が厳しく、家に帰るやいなやアイスを頬張り、なかなかダイエットが進まない幸紗です。一方、入道雲が立ち込める空の下、色づき始めた稲穂が秋の訪れを感じさせます🥰皆さまは、いかがお過ごしでしょうか?

前回の記事では、私の夫もAYAがん経験があることを書かせていただきました。つまり、私には「がん患者本人」「がん患者の家族」という両方の経験があるのです。

そこで、今回は患者本人とその家族はがんになるとどうなるのか?そこにはどんな違いがあるのか?ということを、比較してみたいと思います。

なお、この記事はあくまで筆者個人の経験談であり、すべてのケースにあてはまるものではありません。多様ながん経験の一つとして、捉えていただければ幸いです。

では、どうぞ!


がん患者の「家族」としての体験談

何が起こったか

まず私の、がん患者家族としての経験からお話します。時系列としては、実はこちらが先なのです。

私の夫は、20代後半でがんに罹患しました(がん種は非公開🙏)。告知を受けた当初、私たちはまだ結婚前でした。

付き合っていた当初、私は夫の食欲不振が気になっていました。もともと食が細かったのですが、ご飯一膳も食べられていなかったと思います。そして、たまたま何かの検査で異常な値が出て、精密検査を受けたところ、がんであることがわかりました。

幸いにも早期発見だったこと、標準治療がよく効いたことで、夫は目に見えて元気になっていきました。その後で私たちは結婚し、今に至ります。


どのように家族のがんを捉えたか

さて、ここまでさらっと書いてきました。しかし実際には、家族としてがんに接することは、非常に大きな精神的なダメージを伴うものでした。

告知は一緒に受けたのですが、その時はショックでほとんど記憶がありません。そして、治療はどうなるのか、お金はどうするのか、今後も相手を支えていけるのか……。悲観的な想像が次々と浮かんできました。

まだ恋人だったので、別れるという選択肢もありました。しかし、これだけはどうしても選ぶことができず、思考の無限ループにはまってしまいました。そして大切な人を失い、自分が遺されること……。これが一番大きな恐怖でした。

このように私は家族のことで手一杯になり、自分のことを気遣う余裕がなくなっていったのです。このときは、大食漢の私でもほとんど食事がのどを通らなくなり、みるみる痩せてしまいました。

そして、治療方法の選択についても、患者本人の視点とは違いがあったと思います。私は家族として、とにかく標準治療を受けて欲しいと思いました。多くの実績がありいちばん信頼できる治療方法が、患者にとって一番良い選択肢だと思うからです。

しかし、その治療より患者にどのような心身の変化が起こり得るのか?というところまでは深く考えられてはいなかったと思います。

さて、次は患者としての立場から振り返ってみたいと思います。


がん患者「本人」としての体験談

何が起こったか

私は、38歳で右乳がんに罹患しました。結婚から数年後のことです。私は仕事をしており、夫とふたり暮らしでした。

体調に目立った異変はなかったのですが、乳頭の不自然な痒みが続いていました。そんなある日、会社の健康診断で乳がんが発覚。ステージは1でした。

すぐに病院選びを開始。受けた治療は、標準治療である乳房部分切除と、放射線治療、そしてホルモン治療です。最初は抗がん剤治療も提示されていましたが、精密検査によって不要だと判断されました。

その後は予後も安定しており、現在に至ります。詳しくはこちらのマガジンに連載記事として記してあります。


どのように自分のがんを捉えたか

自分のがんの時は、今度は自分のことで手一杯になり、それ以外のことを気遣う余裕がなくなっていきました。

迫りくる死への恐怖、治療のこと、これからの様々な変化、費用について、仕事のことなど……。「これからのこと」や「目の前のやるべきこと」などで、いっぱいいっぱいでした。これらに対処するだけで精一杯で、それ以外のことに使える時間はなかったのです。

ただ、自分の最終責任を負うのは自分。そういう意味では、家族のときよりは現実的な視点だったともいえます。

一方、夫は悲観的になり、動揺し、過剰に心配してくることもありました。これに対し私は「頼むから、もうほっといて!」と突き放してしまうこともありました。

また、治療についての捉え方も違うものでした。標準治療がいちばん実績があり、効果的な治療であることは、頭ではわかっていました。夫のがんの時は標準治療を勧めたので、自分に対してもそうであるはず。しかし、いざ自分となると、すべてを初めから受け入れられたわけではありませんでした。

例えば、私のがんでは乳房切除が標準治療でしたが、切ってしまうと外見の変化は避けられません。標準治療以外でもなんとか切らないで済む方法はないか、いろいろ検討しました。薬物療法も副作用が心配で、実はかなり渋りました。

ですが、夫からも説得され、最終的には私も標準治療を選択しました。

私が夫に標準治療を勧めたことが、今度は逆になって返ってきたわけです。私は自分でもよく調べ、納得して標準治療を選びました。それは今でも正しい選択だったと思います。ですが、いざ自分が患者となると、やはり予測できない変化が恐ろしいものなのです。


最後に

いかがだったでしょうか?

私の場合は内面の変化として、患者家族としては「家族のことで手一杯」になり、患者本人としては「自分のことで手一杯」になりました。また、標準治療の捉え方は、患者家族としては「とにかく実績のある標準治療を受けてほしい」と思い、患者本人としては「頭ではわかってはいるが、予測できない変化が恐ろしい」ことがわかりました。

あくまで私たちのケースですが、このように立場が変わると、感じ方もまた変わってくるものなのです。

しかしながら、お互いに共通する部分もあります。私も夫もがんを経験したことで、お互いが自分の人生の残り時間や、これまでと同じ生活を継続できることが、いかにありがたいことか、といったことに気づくことができました。これは夫婦でがんを体験した私たちならではの感覚だと思います。

そして、やっぱり最後は「今を大切に生きる!」という考えに落ち着くわけです🥰これがお互いの共通認識となったことはとても嬉しいことだな😊と、私は思います。


今日の音楽

José James - Lovely Day  ft. Lalah Hathaway
たとえ辛い日々でも、いつかはLovely Dayと呼べるようにしたいです🥰


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