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クローバーをきみに

海が見渡せる公園の芝生を、ショーちゃんが走り抜ける。
どこまでもまっすぐ突き進む。
その向こうに、輝かしい未来が待っていると信じて疑わない眼差しで。

ショーちゃんはもうすぐ2歳になる男の子だ。

「最近は、なんでも最初に『嫌!』からはじまるんだよね」

母親のポッポは、うんざりした様子を隠すことなく言った。
走り回るショーちゃんを目で追っているが、黒いクマがその下には深く刻まれている。

「そういう年頃だよね」

ほとんど同い年頃の姪を持つメグがそれに続ける。
わたしはそういうものなんだなあ、とぼんやり思いながら、黙ってショーちゃんの背中に目を遣った。

わたしたちは大学で同じサークルだった。
文字通り四六時中、朝から晩まで一緒に過ごし、喜怒哀楽のすべてを共有してきた。

卒業して別々の仕事に就いても、年に数回は顔を合わせ、旅行へ行き食事をして、お互いの家を行き来した。

その間にわたしは結婚と離婚をして、メグはいろんな彼氏を渡り歩き、ポッポは結婚してショーちゃんを出産した。

「次の調停でようやく決着がつきそう」

ポッポの目元が少し安堵で緩んだ。

「やっと離婚に同意してくれそうなんだ」
「まあ、色々向こうもそろそろ決めたい事情があるみたいで」

3組に1組が離婚するといわれているこの時代、3人中2人が離婚となっても変な話ではないだろう。
夫婦間のトラブルが一端となり関係がこじれ、互いの家族を巻き込んで修復不可能なところに行き着いた結果、昨年から離婚調停を続けている。

「おーい」

ショーちゃんが公園の脇を歩く老夫婦に声をかけていた。

前に会ったときはまだ0歳で、口に運ばれた離乳食をそのまま床に垂らしてポッポの手を焼いている赤ん坊だった。
だが、あっという間に言葉を喋るようになって、あっという間に人間らしくなっていた。
次に会う頃にはもっと文章で喋るようになるのだろう。

老夫婦はにこやかにショーちゃんに微笑みかけた。
嬉しそうにそのままついていくショーちゃんを見かねて、ポッポがあとを追いかける。
ポッポに気づいた老夫婦は立ち止まって何かを話し始めたが、わたしたちのところにはその内容までは聞こえなかった。

「普段ジッジとバッバが一緒だから、人見知りしないんだろうね」
とメグが言った。

ポッポの両親、つまりショーちゃんの祖父母の顔を思い浮かべる。何度か顔を合わせた程度だが、教育熱心で自立性を重んじる、穏やかな人たちだ。
離婚の話が出てすぐに別居することになったポッポは、近くに住む両親の元へ戻ることになった。
頼れる場所が近くにあったのは、きっとなにより心強かっただろう。

老夫婦に手を振って別れを告げたらしい二人が戻ってきた。

ポッポより先に小走りで到着したショーちゃんは、すぐに次の遊びを探し始める。今度は足元の草を抜くことに執心しているようだ。

シングルマザーという言葉が好きではない。逆も然りだ。
実際はそうなんだろうけれど、ショーちゃんにはジッジとバッバがいて、保育園の先生がいて、市民交流センターがあって、時々顔を合わせるわたしたちがいる。

新しくポッポの夫となる人が現れるかもしれないし、同じ境遇の人と一緒に共同生活をするかもしれない。わたしと住むことだってゼロではない。

血の繋がりだけが家族ではないのだ。

さっきの老夫婦だって、以前見たポッポの夫よりもずっと、家族のような目でショーちゃんを見ていた。

「はい!」

突然、小さな手がなにかを握りしめて眼の前に差し出してきた。
わたしは手のひらをショーちゃんの手の下に出すと、そこにあったのは鮮やかな三つ葉のクローバーだった。

思わずショーちゃんの顔を見ると、はにかむような笑顔を見せて、またクローバーを摘みに走った。
何度も何度も、小さな手をどろんこにして、わたしの手に乗りきらないくらいのクローバーを積んでいく。

「ショーちゃんはブルドーザーみたいだねえ」と声をかけると、
「ぶるどーざあ」と楽しそうに繰り返した。
お気に入りのトミカの絵本で何度も見ているショーちゃんは、その言葉を理解して嬉しそうにしている。

山盛りになったクローバーがついに手のひらから溢れる。

「ショーちゃん、ポッケにもクローバー入ってるよ」

茎が少しだけポッケからはみ出しているのが見えた。
家に帰ったら洗濯する前に出さなくちゃ、とポッポがため息をついた。

三つ葉のクローバーの花言葉には、「愛」と「信頼」、そしてもうひとつある。

ショーちゃん。
きみはもうすぐ、お父さんと紙の上では家族ではなくなる。
だけど、大事なのは、きみが大好きなお母さんと、ジッジとバッバと、きみの笑顔を愛しているたくさんのひとたちを大切にして生きていくことなんだ。

いつか、自分の家族のかたちに悩む日がきても、どうかそのことを覚えていてほしい。
たくさんのクローバーをもらったお礼に、ショーちゃんの手をそっと握った。

「向こうの本社が地方に移転するらしいよ」
「だから急いでたんだ」
「ざまあみろだね、こっちに戻ってくんなっつーの」
「まあだから、遅かれ早かれ離婚してたんだろうね」
「ばすー!」

ポッポに抱かれたショーちゃんが、眼の前を走る真っ赤なバスを指さして笑う。小さなポッケにはクローバーが入ったままだ。

三つ葉のクローバーの花言葉は、愛と、信頼と、「希望」。

きみと、きみの大切な家族が、今度こそ希望に溢れた日々になりますように。

#思い込みが変わったこと

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