「褒める」こととエンカレッジメントの違い【アドラー心理学】
アドラー心理学でいうところの「勇気づけ(Encouragement)」について学んだのでメモ。俺自身、個別指導塾で中高生に数学や英語を教えているのですが、アドラー心理学を学ぶ中で「あの褒め方、あの注意の仕方はよくなかったなあ」と感じる部分もあり、反省しています。「褒める」のではなく、エンカレッジできるように、実践と勉強を繰り返していきたいと思います。
courageには「勇気」だけでなく、「自信」「元気」「やる気」などの意味が含まれるので、「勇気づけ」という呼び方はあまり適切ではないと感じています。そのため、この記事では、「勇気づけ」ではなく、「エンカレッジメント」とそのまま呼ぶことにします。
エンカレッジメントとは
encouragementの意味をCambridge英英辞典で調べると、次のように出てきました。
words or behaviour that give someone confidence to do something
「何かを成し遂げるための自信を他者に与える言葉や行動」という意味。
アドラー派では、「人生における、チャンスでもありピンチでもあるような出来事や時期」のことを「リスク」と呼びます。
アドラー心理学では、このような避けることのできないライフタスク(人生の課題)のリスクを引き受けて、他者とも協力してやっていくことができる、そういう気持ちになれるように援助することを、エンカレッジメントといいます。
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ちなみに、ライフタスク(人生の課題)は、人間が人生で直面するチャレンジを意味します。主なものに、仕事、仲間、愛の3つがあり、このどれもが、アドラー心理学でいう「共同体感覚(social interest, social feeling)」がないとうまくいかないような課題となっています。
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「励まし」とエンカレッジメントの違い
エンカレッジメントは、「おまえ元気出せよ」というふうなことではありません。
「元気出せよ」「頑張って」と言われて元気が出るのは、余力があるときだけ。余力がないときに「元気出せよ」「頑張って」と言われると、「こんなに落ち込んでいるのに、しんどいのに、まだがんばれっていうのか」と、帰って元気が出なくなってしまいます。
ですから、余力のなくなっている人を励ましてはいけないのです。余力のない人に対するエンカレッジは、まず「しんどいよね」「そういう状況だとしんどいのは当たり前だよね」と、共同体感覚的に受け容れてあげることから始まります。
つまり、「相手の目で見て、相手の耳で聞いて、相手の心で感じること」によって共感的に理解し、存在そのものを受け容れることがエンカレッジメントです。日常会話的な意味での「励まし」とは、このように異なります。
鬱状態を経験した人が「頑張れと言われるのがつらかった」と振り返ることがありますが、これは励ます側がアドラー心理学を知らないために起こった悲劇といってもいいかもしれませんね。
「褒める」こととエンカレッジメントの違い
①褒めることは「条件付き」である。一方、エンカレッジメントは無条件で行う。
褒めることは、褒める側が期待していることを相手がやった場合になされます。例えば、子どもの成績が目標に達したときには「いい成績取ったじゃん!」と褒めるのです。もちろん、成績が悪かったときには褒めません。
それに対して、エンカレッジメントは失敗した場合にも無条件で行います。結果が悪くても、「頑張ったね」と言ってあげるのがエンカレッジメントです。
②褒めることは、自分の関心に基づいている。一方、エンカレッジメントは相手がどういう関心を持っているかを中心にする。
褒めることは、自分の関心ごと(例えば、相手の成績)ありきです。まず自分が子供の成績に関心を持っていて、その関心に対して相手がプラスの結果を出したら褒めるわけです。
エンカレッジメントは、自分の関心ごとではなくて相手の関心ごとからスタートします。井上大輔さんの「マーケターのように生きる(=常に相手からスタートし、相手を理解し、相手の期待に応える)」が近いかもしれません。
③褒める人と褒められる人の間には、ある種の上下関係が存在する。一方、エンカレッジメントは平等の関係である。
「褒める」ことは、褒める人の関心に対して(②)、褒められる側がいい成果を出したら褒める(①)、という点において、一種の上下関係が規定されます。
エンカレッジメントは、与えられる側の関心に対して(②)、無条件で(①)行われるため、与える側と与えられる側の関係は平等です。与えられる側の気持ちになって語り、アプローチするのがエンカレッジメントです。
④褒めるということは、行為をした人間に対してなされる。一方で、エンカレッジメントは行為そのものに対してなされる。
「お前はいい子だ」 ←人格を肯定している
「いいことをしたね」 ←行為を肯定している
「褒める人」は、逆に相手が悪いことをしたとき(自分の期待に沿わないことをしたとき)に、行為でなく人格そのものを否定してしまいかねないという危うさがありますね。
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俺はプロ野球観戦が趣味の一つなのですが(千葉ロッテ推しです)、「エチェバリア神!最高!」と(人間に対して)言うのと、「エチェバリアナイスプレー!」と(行為に対して)言うのは、同じようで違うんだなと気付かされました。
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⑤褒める場合には、褒められている人と他の人との競争が意識されているが、エンカレッジメントはそうではない。
「褒める」行為は、褒められた場合、その本人がますます競争を意識し、周囲の評価を気にするような形でなされる。
エンカレッジメントは、自分の成長・進歩・向上に意識が向かい、自立心と責任感が生まれる。
学校や塾などの教育現場を見れば/振り返れば、エンカレッジメントでなく「褒める」ことが蔓延しているなあと感じますね。
褒められることに依存する人、つまり自己肯定の根拠を他者に求めてしまう人や、自分の特権に気付かないまま競争を勝ち抜いた結果、恵まれた立場から自己責任論を振りかざしてしまう、想像力と共感力の欠如した人が現代日本に多くいるのも、教育のあり方がその一因なのではないかと感じました。
そのような不健全な性格に気づき、empathyを備えた自我を再形成する上で、アドラー心理学はとてもいい理論と方法を提供してくれると感じています。自分の不健全な自我に気づく機会と、それを改善したいという意志さえあれば、アドラー心理学は解決策を提供してくれるので、興味のある方は勉強してみてくださいね。
ちなみに、アドラー心理学の用語では、性格のことをライフスタイルと呼びます。子供は成長の過程で自分なりの自己認識や他者認識、社会認識に基づいた性格(ライフスタイル)をつくりあげていきます。
アドラーは、このライフスタイルが社会適合的であるかどうかが問題であるとし、ライフスタイルが社会に適合しない不健全なものである場合に、それを修正していくための理論と方法を開発しました。アドラー心理学の焦点は、健全な自我と不健全な自我の違い、健全な自我を育てる方法、不健全になった自我を健全な自我へ再教育・治療する方法であり、その中で重要なキーワードが「共同体感覚」です。(というふうに理解しています。)
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少し話がそれますが、僕は日本の政治やエリート男性に最も欠けている素質は、想像力(imagination)と共感力(empathy)だと思っています。自分とは違う境遇、思想、立場にいる人の感情や経験を思いやる、想像する力。「人の上の立場に立つ者こそ、社会的責任を果たさねばならない」というノブレスオブリージュ(noblesse oblige)という概念自体、日本ではあまり知られていません。
特権(privilege)については、下の漫画や、
この動画から学べます。
根本的に、スタートラインは人それぞれ違うんですね。親を失った人、自分で働かないと学校に通えない人、紛争地域に生まれた人、人種や性別などの属性により不当な扱い(=差別)を受ける人、...
自分はそうではない、恵まれた立場にいるということは、後ろを振り返らないと気付けません。
マイノリティがその苦境を語りだしたとき、あるいはそれに関するニュースを知ったときにマジョリティから発せられる「気づかなかった」「知らなかった」「それは差別ではなく区別だ」「仕方のないことだ」「自然ことだ」「気にしすぎだ」「こだわりすぎだ」という言葉の数々に見出されるものこそ、マジョリティの特権である。
いわば、「気づかずにすむ人々」「知らずにすむ人」「傷つかずにすむ人」こそが、特権を付与されたマジョリティである。
(社会学者 ケイン樹里安)
恵まれた立場の人は、まずその事実に気づく必要がありますし、想像力と共感力を持って、その状況を改善するべき義務(ノブレスオブリージュ)があります。
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⑥無条件に相手を評価するエンカレッジメントによるアプローチの方が、相手に通じることが多い。褒めることは、「私のことを心から肯定してくれているのではなくて、口先で褒めているだけじゃないか」と思われかねない。
⑦褒められると、その場では嬉しくて満足するが、それは必ずしも持続しない。一方、エンカレッジメントがなされると、自己肯定感が高まり、明日への意欲、持続性が生まれるという強い傾向がある。
以上7点が、「褒める」こととエンカレッジメントの違いです。
ディスカレッジメントについて
相手の「そのまま」を受け容れるよ、というメッセージを発することがエンカレッジメントなのに対して、ディスカレッジメント(勇気くじき)とは、勇気ややる気や自信を削ぐような発言のことです。
例えば、悪い成績を取った子供に対して、「なんでこんな点を取ってきたの!」「お前はダメだ」などと言うのは、ディスカレッジメントです。
「がっかりしてるんだね」「つらそうだね」「思ったように点が取れなくて落ち込んじゃったんだ。それはそうだよね」というふうに共感し、相手と相手の現状そのものを受け容れていることを伝えるのがエンカレッジメントです。
そして、「どうやったらその問題を解決できるだろうね」「どうすれば次は同じ失敗をしないだろうか」というふうに持っていきます。
これは、「きみはきっと自分で解決できるよ。どうやったら解決できると思う?」というメッセージを含むため、「解決方法を教えよう」というのよりも効果があります。頭から「助けてやるよ」というのは、エンカレッジではありません。
エンカレッジメントとディスカレッジメントの違い
①エンカレッジする人は、尊敬と信頼で動機付けをする。一方、ディスカレッジする人は恐怖で動機付けをする。
他者に対して何かをしてほしいとき、尊敬と信頼で動機づけるのがエンカレッジメント。具体的には、命令ではなく、敬意を払って「やってほしい」「やってもらえるといいんだけど」と言います。そのときに、「君ならきっとできる」「これをやると、君にとってきっといい。そして君ならそれができると思う」と信頼することで、その行動を促します。
恐怖で動機付けを行うこと、例えば「勉強しないと、いい学校に行かないと、将来困るぞ」と言うような声かけは、ディスカレッジメントにあたります。親や教師はこのやり方をとりがちなため注意が必要です。
②エンカレッジする人は楽観的であり、ディスカレッジする人は悲観的である。
③エンカレッジする人は聴き上手であり、ディスカレッジする人は聴き下手である。
エンカレッジするためには、「相手の目で見て、相手の耳で聞き、相手の心で感じる」必要があります。相手の立場に立つには、聴き上手でなくてはならない。
聴き下手の人は、相手の気持ちに共感しない、それから説教を始める、話を自分の方に取る、などの特徴があります。(心当たりがある。。。)
聴き上手の人は、まず相手の立場に立って、「君の状況ならそうだろうな。わかるよ」と共感します。その上で、「それはつらいね。どうすればそれを抜け出せるだろう?」と、援助する方向に話を進めます。
④エンカレッジする人は未来志向で、ディスカレッジする人は過去志向である。
「おまえ、なんでこんなことをやったんだ」 ←ディスカレッジメント
「次からどうしたらいいと思う?」「これは失敗だけど、次に失敗しないためにはどうしたらいいと思う?一緒に考えよう」 ←エンカレッジメント
失敗もそのまま受け容れることが大切。この方が、叱責されるよりもはるかに自己改善意欲が湧く。
自分や人を改善させたかったら、叱責するよりも共感して、未来志向・目的思考のアプローチをすること!!!
俺は過去の自分の失敗の記憶を追体験して自己否定しがちなのですが、これは自分自身にディスカレッジメントしていたことに他ならないのだと気付かされました。過去の自分を叱責して生きるのではなく、未来志向で生きたいです。
⑤エンカレッジする人は大局を見るが、ディスカレッジする人は細部にこだわる。
大きな目で見て、一歩でも二歩でも進んでいるとみたら、「進歩したね」「成長したね」「頑張ったね」と言ってあげる。
細部にこだわると、「努力はしてるようだけど、ここがダメだね。あそこもダメ」となり、これでは全然元気になれない(ディスカレッジメント)。
失敗を受け容れること
最後に、(塾バイトをする上でも)個人的に大事だと思った、「失敗を受け容れる」という点についてまとめます。
大人は人生経験がある分、予測が上手なので、「こうすれば失敗するに決まっている」と思ってしまいます。そこで、子供に対して(俺の場合は生徒に対して)お説教をします。でも、子供は言うことを聞かずに、失敗する。このとき大人は、「ほら見なさい」と言いたくなります。ですが、「ほら見なさい」と言うのは、「ほら見なさい、きみの判断は間違っている。きみは正しい判断ができない人間なんだ」というディスカレッジのメッセージを送っていることに他なりません。
そこをグッとこらえて、「そうか、失敗したんだ。残念だね」と現状を認める。「次に失敗しないためにはどうしたらいいんだろう?」と問うてみる。相手が「どうしたらいいと思う?」と聞いてきたら、人生の先輩として、「こういう手があると思うよ。参考になるかな。でも、判断するのはきみだよ」と教えてあげる。これは、「自己決定能力と自己責任能力がきみにはあります」というエンカレッジのメッセージになる。「こうしなさい」とは言わない。
過剰な心配は相手を信じていないことを意味します。上の立場に立つ人間は、下の立場に立つ人間に、しばしば優しいつもりで過剰に心配して、無意識のうちに実は相手を信頼していないというメッセージを送ってしまいがちです(自覚がある。。。グサッときた)。「きみは一人ではうまくやっていけない存在なのだ」と。
心配することは優しさではなく甘やかしであり、ほんとうの優しさは信じることです。失敗しても肯定することです。そして、「失敗から学べるんだよ」というふうに接することが、ほんとうの優しさであり、エンカレッジメントの姿勢なのです。
限られた授業の時間で、見当違いの解き方をしている生徒を見ると、そうじゃない、こうやって解くんだよ、と言いたくなってしまうのですが、本人が失敗だと気づくまでは見守ってあげるように改めた方がいいのか、と感じました。
最後に
今回まとめたのは、この本で学んだ内容です。岡野守也さんのわかりやすい説明に感謝です!
いやー、久々にnote記事の投稿まで漕ぎつけることができました!
ここ2ヶ月ほど、仏教、ニーチェ、ユング心理学(MBTI)、アドラー心理学などいろいろ学んで、書きたいテーマはたくさんあるのですが、まだ消化し切れていない部分も多々あり、下書き記事が10個以上溜まっています。
夏休みの間に読めるだけ読んで、書けるだけ書いておきたい。
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