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「出版社で働きたいです!」を叶える。(1)

前回の続きでございます。
(更新を挫折しそうだったのは内緒)

     ▼前回の記事▼「出版社で働きたいです!」を叶える(0)

前回記事を読むのめんどくさい!という方の為に要約すると、

・出版社は最大手でも従業員数1,000人を下回る会社規模である。
採用倍率600倍?900倍!?採用枠は僅か、志望者過多な傾向へ。
・出版不況?傾き続ける業界、多くの出版社は継続採用する余力が無い
・2000字弱だ。駄文だが読んでくれ。

そんな、出版業界人口の少なさと、減少傾向について綴った前回。
調べたら何となく分かることだらけの前回。

今回は「自分語り」を深めていくナルシスト回。
(プロフィールに二次利用したい)

・学生時代?好きにすればええ

学生と、転職を考えている方の両方から
「話を聞いて欲しい」と連絡をいただくのだが、
出身校の「就職先登録(卒業時に登録させられるよ)」をしているせいか、
やはり学生(後輩)からの問い合わせが多い。

3、4回生(関西では学年のことを“回生"と呼ぶ。何でやろ?)からの
問い合わせは「就活」と「インターン」についてが大半だ。

就職活動については面白く無いので(書くのが)、
次回(2)にて書いていけば良いとして...

3回生以下のヤングピーポーからは
「大学時代、やっておいたら良いことはありますか!?」という質問が多い。

A:「好きにすればええ」

「無責任だ!」ではなく、本心からそう思っているのだが、
中々言語化する機会も無いので、好き放題していた私の大学時代について
綴りたい。

そこから「好きにすればええ」を感じ取っていただければ、これ幸い。

SABOP(私)の大学時代

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※読むのめんどくさい!という方の為に挿絵を書いた。美化し過ぎ


さて、私の実家は中国地方の片田舎にあり、
高校生まで山と海に囲まれてノビノビ育った。

そして、大学は憧れの地“関西"を選択
兵庫の私立大学で4年間を謳歌することになる。
(「都会に行ける!」と思いきや、同じぐらいド田舎で凹んだ..)

▼「関西」に夢と憧れを抱いた時の話、というか前日端(続き書けてないや...)▼

関西の4年間は刺激的かつ、自己責任を知る4年間だった。

・いたよね?いつまでも1年の必修を受けてた先輩

あれ、私。

「学生の本分は学業である」

大人はよく口にする。


それもその筈、その大人は「誰かの親」であり、
たっかい学費を自分の息子娘のために捧げている。
いわば、出資者。

出資しているにも関わらず、本業を疎かにしていることが分かったら
キレたくもなるだろう、出資を止めたくもなるだろう。

でもね、学生のうちは気付かない、気付こうとしない。
(私の話ね、優秀な学生の皆さんは最初から気付いているよね)

すると必修を毎年落とす4回生が出来上がるのです。

今でも「GPA」という指標を使っているのか分からないが、
私は「3.0」を超えたことが一度も無かった。

4回生となり、就活が始まる頃になると多くの友人達が
大学には週1日程度の登校となり、久しぶりに会う友人達との
話でキャッキャしているのだが、私は違う。


週5日登校。


4回生になっても毎日欠かさず卒業の為に登校していたので
浮かれもしない。死んだ目をしている。
(めちゃくちゃしんどいから、単位だけは取っとこうな)

要するに「成績」という点では、お話にならない学生だった。

・口癖が「私の前世はイタリア人」になった日

これはアラサーになった今でも良く口にする。

割と本気で思ってる節があるので病気だと思う。


入学してからずっと、高校時代に読んだ「ARIA」という漫画の影響で、
イタリア(ヴェネチア)に強い憧れを抱く日々を過ごしていた。

(また余談だけど、「ARIA」は全人類の必読書です。読みましょう。)

そんな「憧れ」が突如爆発してしまう。


大学1回生の春休み。

バイト以外やる事も無く、家でダラダラBSの旅行番組を見ていたら、
たまたま「ヴェネチア」特集回だった。

「行かなきゃ!」と本能が訴えてきた。


翌週にはバイト(ほっともっとの調理担当)を突然辞め、
パスポートを取得したのが2011年の1月下旬のこと。
(店長、めっちゃ焦ってた。ごめんね。)

その2週間後には人生初の海外旅行として、イタリアの地を踏んでいた。

一人で。

ツアーに申し込まず、個人旅行を選択。
購入した航空券(往復)は【2月4日(出国)-3月18日(帰国)】
というロングトリップ。

宿の手配?していない。
分からない。

英語?高校時代に忘れてきた。
(しかもイタリアは英語すら使えない場所も多い)

予算?決めてない。

...「計画性」

ほんま大事。

この時のイタリアでの約45日間は、10代の私にとって
人生観を変えるのに十二分な劇薬だった。

(莫大な借金をココで抱えることになる。
2011年3月、あの時とも重なっていた。いつか書きたい。)

この旅行きっかけで、何度か海外に足を運び
ヨーロッパは学生の間に4度行くことになったが、
全て「イタリア国内(バチカン除く)」にしか滞在していない。
病気。

・旅行に行きたくなったら辞める、それがバイト。

学生時代のバイト年表(需要0)
①2010年8月〜2011年1月末
【バイト先(業態)】:ほっともっと(弁当屋)調理担当
【退職理由】:イタリアに行きたかったから。
(後にも先にも、ここのバイトの子が一番可愛かった)

②2011年6月〜12月末
【バイト先(業態)】:ローソン(コンビニ)夜勤スタッフ
【退職理由】:単位落とし過ぎたのと、カナダ・アメリカに行くから。
(夜勤ダメ絶対🙅‍♂️)

③2012年4月〜2012年8月:
【バイト先(業態)】:人材派遣(コンサートスタッフ)
【退職理由】:イタリアに行くから。
(バイトくーん!)

④2012年9月〜2013年2月:
【バイト先(業態)】:ティファール(調理器具)販売員
【退職理由】:飽きた、それと就活のため。
(男性一人だけの職場は辛いよ。)

⑤2013年3月〜2014年2月:
【バイト先(業態)】:ザ・ノースフェイス(アパレル)販売員
【退職理由】:イタリアに行くため。
(戦場のような職場だったけど、ブラックだけど、笑えた職場。)

色んな意見があると思うけど、

「やりたい事のために、はじめ、辞める。それがバイト」

「目的」と「手段」云々と良く言うけど、
個人的に学生バイトの例が一番当てはまると思うの。

バイトが何か「目的」の為の「手段」だとするなら、
「続けること」自体に価値は無い。
(目的なんです、という方も勿論いる。それはそれで良い)

名残惜しい時もあるけど、「目的」の為にスパッと辞める。
イタリアが呼んでいる。

今思うと、この考え方はアラサーの今でも同じで、
やりたい事の為なら昔の夢でもスパッと辞め、今がある。

・7つのサークルに入り、半年後には6つ辞めていた。

バイトと言い、単に「継続できない」だけなのでは?😓

そうかもしれない。


ど田舎から関西まで単身出てきた私は
「知り合い(友人)作り」に不安を感じていた。

私の大学は附属高校が複数あり、
エスカレーター式で進学してきた人も多い(心底羨ましい)。

そんな中、単身乗り込むのだ。
スタートダッシュが肝心だ。

最初から7つもサークルに入る予定など無かったが、
最初に見学したサークルが陽キャを極めたようなサークルで
正直、肌に合わなかった。

とは言え、そこで出会った数名の先輩から、大切なことを教わる。

「大学のテストは団体戦やで」

そう、経験した方も多いと思うが、大学の各試験は
教授により内容が全く異なる。

授業の内容はもちろんだが、
過去の傾向を知っているか否かが大きく鍵を握る。

大手サークルに加入していると、
「過去問集」と言うファイルが出回り、
ありとあらゆるテストの傾向を掴むことができるのである。

故に、肌が合わないにしても大手サークルには
加入しておくメリットがあるのだ。

とは言え、「肌が合わない」メンバーと4年間過ごすのも苦痛。

4月〜6月ぐらいまではどこのサークルも
新入生体験期間を設けていたので、シンパシーを感じる
サークルを探して、点々としていくことになる。

正直「はじめまして」を繰り返すのはしんどかったが、
「知り合いを増やしたい」(可愛い子とお知り合いになりたい)と言う
KGIを達成する為に、日夜サークル体験に励んだ2ヶ月。

結果、7つのサークルに入っていた。


...入り過ぎた。

続くはずも無く、1つ、2つ幽霊部員となり、
結果として「天体観測サークル」を残し、全てのサークルで幽霊となる。
(当時“1人ホーンデットマンション"の異名を誇っていた)

ただ、結果として「知り合いを(無駄に)増やす」という
ミッションは無事成功し、出席がマストな授業以外は
最小限の労力で単位を取得するに至る。
(何度も言うけど、学生の本分は勉学だよ)

唯一所属していた天体観測サークル「プラネタリウム」は
サークル時代が廃部の危機を迎えており、
2回生の夏にはサークル長を引き継ぐことになる。

この時点で先代は引退、メンバーは私含めて2人

ここから1年で50名弱までサークル員を増やし
準大手サークルまで成長させるのだが、それはまた別のお話。

・ほら、バニラの香りがするでしょ?

凛とした大きな瞳に、艶やかな黒のショートカット。

背は低いけど大人びた顔立ちの先輩。

彼女から貰った煙草は、
妙に甘かったのを覚えている。


そんな思い出が欲しかったよ。


実際は今でも腐れ縁となっているダボダボ服にボサボサ頭。

“ダボサ"の1浪同級生が吸っていたタバコを
半分無理やり受け取らされて吸ったのが、私の喫煙人生の始まり。

今は無き「Caster」というタバコが私の愛用だった。

私は吸う前から「タバコ=臭い、苦い」というイメージを持っており、
吸う事なく人生を全うすると思っていた。
肺癌にもなりそうだったし。

ところが、そんな私にダボサはしつこくタバコを勧めてきた。

そして殺し文句として使っていた言葉が、
「これ、バニラの味すんねん」だった。

無理やり吸わされてから、現在まで一度たりとも
「バニラの香り」と思えたことは無い。
普通にくせぇ。

だがニコチンにやられてしまったのか、
私は煙を常に摂取する人間に改造された。

「百害あって一利無し」

タバコはそんな風に言われて当然だと思うけど

タバコミュニケーション。

大学や職場の喫煙所に集うメンバーが固定化することから
妙な親近感が生まれ、気付いたら雑談するようになっているアレ。

これだけは「利」に含んでも良いと今でも思う。
タバコきっかけで色んな人と知り合うことができた。

友人の彼女に「あそこに集まってる奴ら、ゴミだから」と言われても、
吸い続ける勇気を私にくれたのは、タバコミュニケーションの出会いである。

・(まとめ)良い”好き放題”をお過ごし下さい

さて、私がどんな学生生活を送っていたか、
イメージいただけただろうか。

Q:「学生時代に何をすれば良いですか?」
A:「好きにすればええ」

冒頭と答えは変わらない。

好きなことをやってきた結果、
夢だった出版社にも入れたし、今食べていけてるのだから、
n=1だがファクトなのは間違いない。

ただ、「好きにする」というのは
いたずらに時間を浪費するのとは違う。

自分の好きなことは何だろう?

やりたいことは何だろう?

見つけ出せたら、
「どうすればそれができるだろう」を考え、
実行する。

「好きなこと」

自ずと見えてくる人もいれば、
自分自身でも、何か分からない人もいるだろう。

そういう時は外に出てみるしかない。

見知らぬ土地に、いつもの町並みに、会話に、
きっと自分の「好き」があるはず。

何をしたって良いけれど

自分の「好き」に「自信を持てること」が
出版社への第一歩だと、私は思う。

だって出版社は「誰かの好き」を作る側なのだから。

良い“好き放題”をお過ごし下さい。

FIN.


...でも、就活は好きなことだけやる訳にはいかない!

就活前は「好きなこと」をしなさい。

でも就活は「試験」だから。

対策するか、しないかが命運を分ける。


という訳で次回は「出版社就活編」です。

因みに私はめっっちゃ失敗した側だから、
他の人が後悔しないように、この記事にも意味があることを祈る。

<つづく...? >




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