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矛盾を超えて〜往復書簡〜

「今の鮎太さんの願い」をお聞きしたいと思います。
願えるのは一つだけ。大きなものでも小さなものでも、どんなものでも構いません。

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この記事は、僕と碧魚さんのnote上での手紙のやり取りです。盗み見て楽しんでください!
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前回までのやりとりは以下のとおりです。


 碧魚さん、全ての読者の方々、明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお願いします。

 昨年末、まりさんからのお手紙を読んで、なんと優しく、強く、素晴らしい方とやり取りをしているのだろうと改めて嬉しくなりました。

 まりさんがY先生に憧れ、その背中を追われたように、まりさんが正面から向き合った子どもたちが、今後は、まりさんを目指し、歩んでいくことでしょう。そのことを想像すると微笑ましい情景が浮かぶとともに、日本という国の未来まで明るくなっていくような気がしました。


私の願い


 さて、今回のまりさんからのテーマは「願い」。それもひとつだけ、いまの僕がもしひとつだけ叶えられるとしたら何を選ぶのだろう。年末年始、こればかり考えていました。
・恐竜の化石がほしい!
・江戸時代に行きたい!
・世界が平和になってほしい!
・有名人に会いたい!
・ライブに行きたい!
・俳句が上手くなりたい!
思いついたものを挙げていったらキリがありませんでした。

 結論から言います。私の「願い」は


世界中を旅して、その土地の人と膝を突き合わせて話をしてみたい。


と言うことです。まりさんを含め読者の方々から笑われるかもしれんね。そんなのすぐに出来るだろうと。
 

感情の量と旅

 僕は小さな頃、よく涙が出る子でした。人の感情をピアノの鍵盤だとすると、僕は鍵盤の数が多いのだと思います。いろいろな出来事にすぐ感動し涙を流していた気がします。

 赤とんぼが夕焼けに渦を巻いて舞っていたとき、満開だった桜が最後の一枚になってしまったとき、友達が怪我をしたとき、国語の教科書を読んだとき。

 その都度に鍵盤が大きな音色を立てて心に響くのです。

 僕はほとんど旅をしたことをがありません。世界を想像することは、本を通じでやってきました。優れた作者の本であればその土地に行かなくても、むしろ行かない方が芳醇でより的確な文化を感じ取れることもあると思っています。
 
 僕は兼業農家の次男坊です。決して土地に縛られている人間ではありません。いまも生まれ育った場所を離れて一人暮らししています。しかし、年に数回は必ず帰らねばならないことがあります。それは、田植え、稲刈りと言った作業があるからです。
 
 念のため申しておくと、これら、僕を縛る農作業のことを不幸とは思っていません。美味しいお米を作ること、ひいては日本の稲作文化の後継者として誇りを持っているのです。
 しかし、それとは矛盾する形で、「土地」から離れ、自由な旅をして思うままに心の鍵盤で音を響かせたい、とも思うのです。


人が好き


 世界中を旅して、人に会い、何をするのか。
そう問われれば僕は嬉々としてしゃべるでしょう。違う文化圏の人々の生活のリズムも知りたいし、言語も知りたい、考え方の違い、大切にしていること、色んなことを話してみたいのです。
 相容れない考え方や習慣もあるでしょう。しかし、それもまた多様性で、決して狭い世界にとどまっているいまの自分には想像もできないような会話ができるはずです。

 各地のお酒を片手にテーブルに着く。目を開けるとそこには味わったことがないような料理の数々。向かい側には鮮やかな民族衣装を纏った人が笑顔で向き合っている。

 眠り落ちるまでの僅かな時間、何度想像して楽しんだことでしょう。毎回、いろんな話を想像してふっと笑顔になったり、悲しくなったり、怒ったりも!(楽しそうじゃありませんか?)

 僕の願いは、僕自身の矛盾を吹き飛ばしてくれる「旅」です。「人」が好きなのです。とても個人的なことで、まりさん含め理解してくれと言うのは難しいでしょう。ですが、これが僕なのです。


まずは身近な人から


 ところで、こんなご時世ではありますが、僕は今年、この願いを少しずつ進めて行きたいと思っています。まずは近くの人ともっとコミュニケーションを図っていきたい、ということです。

 それは何を隠そう、いまこの記事を読んでくださっている皆さんと、です。

 まりさんとならいろんな話ができそうですし、一度勉強を教えてもらいたい!(なにしろ勉強が嫌いだったもので、いい先生に習いたいのです)
 俳句仲間とは古今東西の名句について語り合いたい。(最近、僕の感情を一層豊かなにしてくれたのは俳句です)
 エッセイ仲間とは近況を報告し合うだけでも楽しそうです。

まりさんをはじめとした、noteで知り合った方々ともっと深く交流ができたなら、僕の鍵盤は壊れんばかりに、七色の音色を奏でてくれると思うのです。

 noteで見ず知らずの多くの人の考えと感情に出会っています。これだけでも一種の豊かな「旅」をさせていただいています。そこにさらに、顔の見える出会いができれば、と思っています。どんな形なら可能なのか、まだ考え途中ですが、ぼんやりと願望を持っています。


最後に

 さて、取り留めのない話を長々としてしまいました。私の願いについてはここら辺で終わらせていただきたいと思います。
 そして次の碧魚さんに聞きたいテーマはずばり「教育」についてです。本職である碧魚さんに是非とも聞きたいことがあるのです。それは

「人はなぜ勉強をしなければならないのか」

ということです。これは、実際に僕が大学生の頃、当時テニスを教えていた中学生から問われたことがあります。僕はうまく答えられませんでした。いい学校へ行くため、将来お金を稼ぐため、いろいろ考えましたが、その中学生の真っ直ぐな目を見て、何も言えなかったのです。いまでも彼を思い出す時があります。僕にとっては未だ答えの出せていない宿題なのです。

 碧魚さんにとって、とても嫌なテーマかもしれまん。そして、僕は失礼な質問をしているでしょう。しかし、生徒と向き合い、自分自身とも深く向き合っておられる碧魚さんの返答を聞いてみたいと思うのです。

 年が明け、数日が過ぎましたがまだまだ寒い日が続きます。お体にはご自愛ください。

                 鮎太より
 

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