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VS顕正会二回戦

 また我が家にやってきました顕正会のおばちゃん。ぶっちゃけ二度目は来ないんじゃないかなって気がしていた。前回めんどくさいやりとりをしたので、相手にしてくれないと思っていた。だからちょっと意外だった。というわけでVS顕正会の初戦の内容は以下のリンクからご覧いただければと思います。

 VS顕正会と、バトルみたいな題名をつけているが、私は決して論破したいわけではない。揚げ足取りや矛盾の指摘で勝ちたいわけではないし、相手をおちょくって楽しみたいわけでもない。ただ、自分の中の知識の一つとして顕正会の人間が何を考えているのかそれをただ知りたいだけである。そのために議論を交わしたい。本当にただそれだけである。

 と、なんとも盛大な前置きをしてしまったのだが、二回戦の内容は非常に薄っぺらい。というのも、おばちゃんの話が前回とほぼ変わらなかったからだ。とりあえずやってみなよ!日本が仏国(=国として日蓮大聖人を信じる)になれば救われるの!日蓮大聖人は素晴らしい!そんな感じのを無限ループだった。前回も同じ話聞いたな~進歩ねえな~ってのが今回の感想。でも、面白いやりとりがいくつかあったのでそれを羅列していくような形式で書いていきます。

毒キノコ

 試合開始5分くらい、雑談タイムをしていたところ、「で、題目唱えてみた?」とおばちゃん。先制攻撃としては正当派ないい攻撃をかましてくれた。私は「いえ、理論に納得がいかないので唱えていません。」強固な防御をアピールした。するとお得意のとりあえずやってみなよ論をたとえ話を用いて出してきた。「美味しいものだって、とりあえず食べてみなよって言われたら食べちゃうでしょ?」もちろん信用のおける友人とかなら食べるだろうが、はっきりいっておばちゃんは見ず知らずの怪しい人間だ。多分そんな人からの勧めで食べることはない。…と言いたいのはこらえた。無駄に相手の心証を悪くしても良い議論にはならない。そこで、たとえ話にたとえ話で返した。「ベニテングタケって毒キノコもあれ旨味が強くてめちゃくちゃ美味しいらしいですけどね。」まあ実際のところ顕正会にベニテングタケほどの旨味があるのかと言われれば十中十ないのだが。

 なお、このくだりはおばちゃん自身が気に入ってくれたようで、試合中何度か「毒キノコでもいいからとりあえず唱えてみようよ」と繰り返してきた。まあ嫌なんだけどさ。効果ないのは自明なので。

予言は的中?

 顕正会の資料としてもらった『基礎教学書 日蓮大聖人の仏法』に次のような記述があった。

国家の興亡盛衰の根本原因は仏法の正邪による。もし国中が邪法を信じて正法に背けば天変地夭・内乱・他国侵逼等の災難が起こり、

 どうやら、お題目を唱えない日本は滅ぶと言いたいらしい。立正安国論の中で飢饉・天災・疫病などが起こると予言されていたらしい。実際14年後に元寇があったし、飢饉も地震も疫病も何回も繰り返されていると主張する。今も中国や南北朝鮮の侵略の危機に晒されているし、新作コロネも流行っているし、経済的影響も大きいじゃない?予言通り起きているでしょ?これは罰なのと主張する。確かに挙げたことは今全て起きていることだ。だが、これを予言とするのはいかがなものか。予言という割には、領土問題や経済危機や天災、疫病など、人類がいる以上繰り返して当然な事柄でしかない上に時期が明確でないし、何なら元寇も立正安国論の14年後かいと。そんな漠然としたものを予言扱いされても困る。それでも起きていることは事実でしょ?と食い下がってくるので、もっと正確な予言持ってこい天気予報の方が正確だわと押し切るしかなかった。

あのマーチに乗ってて良った

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 なんと一回戦の顕正会メンバーに車がバレていた。試合開始1分でもしかしてあの車…と聞かれてしまった。素直に答えた。ハイ、私のです…。まあそりゃ顕正会をまともに相手にしようとしてなおかつ、やれ論理的でない、やれ証拠がないだの喚くアホが乗る車なんてそりゃあれしかないわな。とまあ車がバレてしまっていて在宅か否かバレやすくなってしまったわけだ。ただ、この車バレがまさか伏線になっていると思わなかった。

 あーだこーだ理由つけて反論する私に対し、ついにおばちゃんが宗教と関係ない指摘をし始めた。「もしかしてあなた、人目とか気にするタイプじゃない?ほら頭いい人ってプライド高かったりするじゃない?友達とか家族とかの目が気になるんでしょ?」おーついに人格攻撃に手を染めてしまったか。だが残念だが、最初に車バレしていたのが仇となっていたようだ。私の渾身の一撃「頭が良くてプライド高くて人目が気になるような人間があんな車に乗ると思います?」これは綺麗に一本決まった。植草歩の裏回しくらい綺麗に決まった。これにはおばちゃんも笑いを堪えきれなかったようで、完全に勝利してしまった。おばちゃんも今日一の返しだと絶賛してくれた。相手の良い所はちゃんと褒めるというのはフェアプレー精神に則ったいい心がけである。これは評価に値する。

本日二度目の大勝利

 その日はおばちゃんの不調続きだった。いともたやすく私が論破できる隙を見せまくっていた。もちろん私は論破して悦に浸ろうとは思ってもいないのだが、その日は完全に論破してしまっていた。

 おばちゃん曰く、顕正会には病院関係者や警察関係者も多いらしい。ちなみに個人的には、職務と思想・信教は分けてくれればなにも文句はない。その日も、他の信者の体験談を聞かされていた。

 ある信者の母が癌に侵されていたが、題目を唱えると急に癌が消えたらしい。その後その母が亡くなって、解剖に回されたのだが不思議なことが起こったという。なんと、遺体にメスを入れようとしたところ一切傷をつけることができず、他の医師も挑戦したものの一切切れなかったそうだ。また、その遺体は腐敗することなくずっと綺麗なままを保っていたそうだ。

で、ここからが後の論破に繋がる話なのだが、どうやらその医師はこの事例をそのまま学会で発表したとのこと。大事なことなのでもう一度、学会でこの事例を発表したとのこと。これは余談ですが、この論文タイトルや掲載雑誌等の文献情報を聞いたところ、おばちゃんは何も知りませんでした。多分私が証拠とかそういうことばっか言ってたから学会とかそういう例を持ち出してきたんでしょうが、論文の信憑性がない以上証拠として認めるわけにはいかないので、ね。おばちゃんには、実物持ってこられないなら、論文タイトルと発表年月、掲載雑誌くらい調べてきてくれればあとはこっちで勝手に判断しますからね~とだけ言っておいた。教えてもらったら論文探して医学類の友達に意見聞いてみよーっと。

 本題に戻ります。論破してしまった話。そんな話のあとに、顕正会信者の成仏についての話になった。お題目を唱えなかった人の遺体は黒ずみ、表情も固くなるそう。一方お題目を唱えた人の遺体は白く清らかで、優しい表情をしているのだそう。これを事実と称して主張するのだが、そうなったというソースを出してくれと頼んでも出てこない。準備してくれそれくらい。写真の一枚でもないんですか?と聞いてみても、我々はそういう証拠とかそういうので動いていないので…みたいに言う。君たちの歴史は700年くらいあるんだろ?そんな長い歴史の中で写真の一枚も出て来ないってこれは一体どういうことだ?まあ、そんなの分かってて突っ込む私も私ですが。

 そんなこんなしていると、おばちゃんがちょっと主張を変え始めた。お題目を唱えた人の遺体は白く清らかで、唱えなかった人の遺体は黒ずんでいるのは事実なのに、医者は誰も目を向けない。結局医者は延命させて金儲けすることしか考えていないんだ。とのこと。主張強烈頓珍漢珍〇如意棒孫悟空。医学の研究も金になることしか考えておらず、成仏の相には目もくれないのだそう。さあ、ショータイムだ。ミラクル論破タイムの始まりだ。

 「さっき、顕正会の方って医者も多いって言っていましたよね?」一応私がおばちゃんに逃げ場を与えないように再確認。「そうね。」とおばちゃん。この時勝利を確信した。「医者のお仕事の一つに医学研究もあるんですけど、他の医者が目を向けてくれないのなら顕正会の医者が研究して発表したら良いんじゃないんですかね?」こうかはばつぐんだ!おばちゃん何も言い返す言葉がなかったのか、苦し紛れにおばちゃん、「いやもしかしたら過去に発表しているかも…。」そんなのは無駄!私は「じゃあさっきの学会発表したやつの論文と一緒に文献情報調べてきてください。」これ以降は実験とかそういうのじゃなくて、私たちは経験を信じて動いているから…という方向に話が変わっていきました。

営業トーク

 おばちゃんが何度も同じ話ばかりする割には論理的な話が一切ないので、顕正会とは離れたところでとある指摘をしてみることにした。一年間とはいえ元営業からの視点で。まず、おばちゃんのやっていることは営業活動、セールスと本質が同じであるということ。具体的に何かを売っているわけではないし、宗教を商材扱いしてしまうのは申し訳ないけれどもと断ったうえでさらに指摘をした。営業活動では、相手に商品を買ってもらう必要がある。でも客側は、客に対するメリットを見出せない限り買わない。例えるならば、おばちゃんは顕正会という商品を売っているセールスマンであり、それを売り込みに来ているのであると。感情的側面を煽って買ってくれる客もいるだろうが、私のような人間はそれでは買わない。私にとって利益があるのなら買うが、それを未だに論理的に一切示してもらっていない。題目唱えれば幸せになる、仏国にすれば救われるしそれが達成されていないから新作コロネも流行るし地震も起きるなどと言われても信頼できるデータがない以上私にとって魅力は一切ない。前回も仏の定義について答えられなかったし、商品知識も持っていない人間から買うわけにはいかない。ちなみに、セールスマンの人柄で買うことがあるのは敢えて伏せておいた。私は基本的に人柄で商品は買わないし、なんか勘違いして気に入られようとするのは嫌だったからだ。

 そしたらなんと、予想だにしていなかった返答をもらってしまった。お題目は、唱えてやるものではなく、別に敢えて唱えなくてもいいけど唱えさせていただいているものだと言われた。そもそも私は唱えてやるとも言っていない。客という言葉からお客様は神様だ的なアレを連想してしまった可能性はある。なぜか販売側と顧客側では顧客側優位な風潮があるからそれは仕方ない。それは仕方ないとしてだ。それは仕方ないとしても、別に唱えなくてもいいけど唱えさせていただいているものだと言うなら別に勧誘せんでも良くない?唱えたい人だけが唱えてハッピーって言っときゃよくない?あれ、でも日本を仏国にしなければならないとか言っていたよね。自家撞着。まあこの辺は泥沼にハマる予感がしたので矛盾については突っ込まなかった。それよりはもっと本質的な話をしたかった(できるとは言っていない)。

めっちゃどうでもいいおまけ

 おばちゃんが質量保存の法則を盛大に間違えていた。質量保存の法則とは、化学反応の前と後で物質の総質量は変化しないという法則である。この法則名をおばちゃんが人の死について語っていた時に盛大に誤用していてウケた。木だって机になったり椅子になったりしても、燃えたり土に還ったりしても元は変わらないでしょ?人間が死んでも土に還り自然の一部になって~的な話だった。どうでもよすぎたくだりだったのであまり覚えていない。





よし涸れよ濁さんよりは