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【Vol.5】 生きるのしんどい?

こんにちは!
飲料です!
福岡の桜咲いてますね!春だー

さて、本題です。

Vol.3でお話ししましたが、私は以前メンタルを病んで公務員を退職しました。今は完全復活して、気力も体力も有り余っているので、やりたいことを自由にやってます。

今回はメンタル最悪の状況を打開できた私の考えを少し話させてください。(自分メモでもあります)

〜生きるのしんどい〜

「生きるのしんどい」と思ってる方いませんか?
「なんでこんなに生きづらいの?」
「生きてるだけで疲れる」
「ずっとずっと眠っていたい」
「もう嫌だ」

こう思う人って往々にしてとても真面目で自分に厳しい人なんですよね。そしてとっても優しい、人のために心をすり減らしている人です。

〜横柄に生きていい〜

次々人が辞めていくような職場で、傍若無人で横柄な人だけは残り続けるって現象ないですか?「あの人だけは長いな…」っていう人。お局様もそうですよね。

彼らを見てると、メンタルが強いというのではなく、我慢をしない人達なんだと思います。周囲の雰囲気とか関係なく自分の機嫌や言いたいことを我慢しない。

良く言えばストレス発散が上手な人達ですね。

彼らを見習って「明日から傍若無人に生きるぞ!他人のことなんか知るか!」と意気込んでも、ほとんどの人はそんなことできないと思います。

だから、彼らのマインドをほんの少しだけ借りることにします。

〜私はこうしたい〜

周りに気を遣って生きているタイプの人達はおそらく傍若無人な人々を真似たってその50%も適当には生きれないと思うんですよね。

だから、全力で彼らを真似て「1%くらい自我を通せたかも…」

それで十分だと思います。
そうやって少しわがままに生きるって大切です。

〜完璧とは?〜

「生きるのしんどい」人達って(私もそうでしたけど)完璧主義者が多い気がするんです。

でも、この世界において完璧ってなんだと思いますか?

実は完璧って自分や世間の物差し、時代の価値観でしかないと思います。

戦時中、戦後を見てもわかりますけど、「国のために死ぬ」っていってたかと思ったら、戦争が終わったら一斉に教科書を墨で塗ったんですよ。

価値って時代によってガラッと変わるものです。

〜死人を見てきて〜

私は前職で警察官をしてきました。

警察官になったら、変死の現場に行きます。

亡くなってまもない遺体、ミイラ化、白骨、高度腐敗、焼死体、水死体、多種の自殺遺体、殺人遺体、孤独死…

それは、それはたくさんの死体を見てきました。

同時にそのご遺体の生活状況も見ます。

ノート1冊いっぱいに「死」への憧れや、渇望を書いた人も、
家族に愛され前日まで活力的に仕事をしてきた人もいました。

でも、死ねば死体は死体でした。

どんなに
「人生はこうでないといけない」
「こうしないといけない」
と言っても、私たちは自然の産物なんだと思いましたね。

細胞が生まれて、活動して、死んでいくという自然の摂理。
人生なんてその過程に過ぎません。

これを「じゃあ人生なんてどうでもいい。」と思うのか
「死ぬまで楽しく生きよう」と思うのかそれはあくまで本人の自由です。

〜人生の評価〜

私はというと、

これまでの人生、世間や親の価値観で生きてきました。

だから「公務員になれば安泰」だと信じて疑わなかったし、病んでもなお続けていました。

死人をたくさん見て、解剖にも関わった私の宗教観ですけど、あの世ってのを全く信じてないんですよ。

じゃあ、よく「良い人生を送りたい」って言いますけど、いつ感じるの?いつ「良い人生だった」って評価するかって言ったら、私の場合、生きてるその瞬間しかないんです。

違う宗教観の人であればそうではないかもしれませんが、私の場合そうです。

生きてれば不幸なことなんかいくらでも起きますけど、その不幸をいかに楽観的に捉えるのか。その「技術」が大切だと思っています。

だから私はいかに今の時間を生きるか。
そればかり考えています。

そして「死ねば±0」だと思ってるので少し大胆にもなれました。

〜努力することが大切?〜

「努力することが大切です。」
「逃げてはいけません。」

私はそう教えられてきたんですけど、みなさん、どうですか?

これに関しては個性ってあると思うんですよね。

例えば
排気量125ccのバイクと1200ccのバイクがあったとして、「さぁ!150km/h出して走れ!」って言われたとしたら、どっちのバイクが負担が大きいかって125ccのバイクに決まってるじゃないですか。

適性ってあるんですよ。

それを「頑張れ」だけで済ませるのはあまりに雑ですよね。

だから、「自分は何に向いているのか」
「何をしている時が楽しいのか」

それを見極めて選択していくのが得策かなと思います。

辛いけど必死で頑張ってます!

その時点であなたより向いてる人は他にいるし、あなたが向いてる世界が他にあると思います。

案外、純粋に楽しいことをやっていても悪いことは起きないです。

〜そうは言っても周りと比べちゃう〜

わかります。

自分だけダメな気がするんですよね…

私も苦しみました。

比べることはきっと悪いことじゃないと思います。

ちょっと奮起するとか、その材料になります。

あの人より目標を達成してないかもしれない。

美人じゃないかもしれない。お金を持ってないかもしれない。

けど、

その事実があるだけです。

落ち込まないでください。

その事実があるだけですから。

さっきも言いましたが、向き不向きがあります、

適性があります。

個性があります。

タバコ吸って50歳で死ぬ人もいれば90歳でも吸い続けてる人はいるんです。

その人より劣った部分も優れた部分も当然ある。

その人と比べて落ち込んでなんか得がありましたか?

ないです。

〜ちっぽけ〜

ここで冒頭の「傍若無人な奴ほど生き残る」って話に戻るんですけど、生きるのが辛い人ほど(傍若無人ほどでなくても)自分の心に従って生きてください。

真面目すぎる人はどんなに自分勝手に生きていると思っても、周りに配慮ができる人です。

だから安心して、意識的に自分の声を聞いて、積極的に自分勝手に生きようとして欲しいんです。

そしたら、少し、生きることが楽しくなるかもしれません。

「もし誰かに嫌な思いをさせてしまったら?」

大丈夫。

そんなふうに考えられてる時点で大きな傷を負わせるようなことはしないはず。

人間関係を構築していく上で誰しも少し傷ついたり、傷つけたりするものです。

そして、これはとびきりの安心材料ですが、

みんな100年後には生きてない。
「歴史に残る人もほんの一握り」

だからちっぽけな私たちは安心して生きていきましょうね。

ちっぽけとか、たいしたことないとか一見ネガティブそうですが、こういう言葉は自分が楽に生きるために都合よく使っていくスタイルです。
本当はみんな価値がある。これも都合よくです笑

いつもは
「ストイックに、楽しく、自己実現」と言ってますが、

今日は
大丈夫!なんとかなる!まぁいいや!」でいきましょう。

まぁいいや!」これほんと魔法の言葉です。

心からそう思ってなくても、声に出すことを意識してください。

まぁいいや!!

ちっぽけな私たちですけど、楽しく過ごしている姿は、周りの人にも伝染するものです。

肩の力抜いていきましょ。
そうできない自分すら「まぁ良いや」ですね。

ではまた!

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