コーヒースタンドの一日店長で見つけた、どう生きていきたいかの道標。
そんな会話を妻とよくしている。明確な理由はない。ただ面白そうだから、自分たちの豊かさに繋がりそうだから。そんな直感めいたもので、妄想を膨らませている。
そして、先日。この妄想が少しだけ形になった。日替わり店長がコーヒーを淹れるコーヒースタンド『HOPS』の一日店長を、夫婦で務める機会をいただいたから。
たった1日だけ。
それでも、初めてふたりで場を持ったことには変わりない。
実際に場を持ったことで、なにを感じたか。この感覚には、これからどう生きていきたいかのヒントがあった。文章に記しながら、人生の道標を考えたいと思う。
起こり得る再会に、思いを馳せる。
最初に感じたのは、“再会”。新たな出会いではなく、再びの出会いだ。
新卒で入った会社の同期が、仕事の合間に顔を出してくれた。
オンラインでしか話したことない友達が、遊びに来てくれた。
SNSでしか絡んだことのない友達が、コーヒーを飲みに来てくれた。
どれも形は違うけれど、“再会”には間違いない。そして、そんな再びの出会いは、場を持たないと生まれ得なかったものだ。
学校に通っていたときは、友達との再会なんて、日常に溶け込んだものにすぎなかった。さよならを告げたとしても、明日の朝に登校すれば再び会える。せいぜい夏休みや冬休みで、数週間離れることがある程度。友達とは、いつでも会えるものだった。
それがどうだろう。働き始めると、友達と会うことがイベントと化してしまった。わざわざ都合を確認して、予定を空けないと、再会は生まれ得ない。その億劫さで、疎遠になってしまった友達が何人もいる。
けれど、「ふらっと遊びに行けば、友達と再び会える空間」があったらどうだろうか。
もちろん学校とは違い、毎日通うことは難しいかもしれない。予定もあるし、仕事もある。なかなか顔を出せないかもしれない。
それでも、「あそこに行けばアイツに会えるなぁ」と思えたら。なんだか、心の居場所が増えた感覚になる気がする。
その居場所感は、場を開いている側も同様で。「今日は誰かと再会できるかもしれないなぁ」と思って過ごしていると、さながらプレゼントを開ける前の気分に。
起こり得る再会に思いを馳せる時間は、とっても大切な時間だった。
“偶発性”だからこそ生み出せる関係性。
もうひとつ感じたのは、“出会いの連鎖”だった。
ちょうど同じタイミングで、ふたりの友達が遊びに来てくれた。僕はどちらも知っているのだが、友達どうしは、はじめましての関係。
僕という共通点を挟みつつ、互いに自己紹介をして、今やっていることや興味などをポツポツと話し始める。
すると、次第に共通の知り合いや分野が出てきて、場が温まっていく。そして、いつの間にか僕抜きで話が盛り上がるようになっていた。
別に紹介を仕組んだわけでもないし、一緒のタイミングになったら面白いかもと妄想していたわけでもない。
ただただ、偶然同じ場に居合わせて、仲良くなっていった。
偶発性が生んだ関係性、偶発性だからこそ生むことができた関係性を見るのは、きっとはじめてで。不思議な感覚だった。
僕と友達の関係性が、友達どうしの関係性へと連鎖していく。それって、裏で仕組んでいたら成り立たないこともあると思う。作為的な場は、なんだか居心地が悪くなってしまう側面もある。
でも、偶然が重なって重なって生まれた出会いには、なんだか不思議な居心地の良さがある。
この感覚を、友達はこう表現してくれた。
そんな空気感が目の前で広がっていく様子を見ながら、コーヒーを淹れる時間は、僕にとっても居心地が良かった。
“再会”と“偶発性による関係性の連鎖”。それらは、大げさじゃなく、僕の生きる理由になる感覚がある。明日も生きてみようかな。そんな感覚になる。
実際、一日店長を終えた帰り道は、心があたたかく、「いい時間だったなぁ」としみじみしていた。満足という言葉が、しっくりくる。
そりゃ、コーヒーの味であったり、お客さんの人数であったり、場の再現性のなさであったり。考えないといけない点は、たくさんさる。満足している場合ではないのかもしれない。
けれど、はじめて場を開いてみて感じたものは、これからの人生で大切にし続けるものだとも思うから。
「いい時間だったなぁ」という心のあたたかさ。
それを道標に、歩いていきたい。
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