東京駅と焼きそば
秋の終わりの、ある日の記録。
*
朝から、東京駅へ出かけて行った。
通勤ラッシュから少しずらしたくらいの時間帯。この時間に、東京行の電車に乗るのは久しぶりだった。
4年前までは、毎日、
横浜の自宅から東京まで、ギューギューの電車に乗って通っていた。
これくらいの時期になると、電車の中から、真っ白な富士山が綺麗に見える。
私は寒がりだから、この時期になると、北風吹き荒むホームからギューギューのあったかい車内に入ることは苦ではなく、しかも富士山まで見れるのだから、通勤電車はそれほど嫌いではなかった。
久しぶりの東京駅は、本当に素敵だった。
私が昔、乗り換え駅として使っていた東京駅は、そこら中工事をしていて、美しいとは言い難いものだった記憶だ。
4年前どころではない。
10年近くまえの記憶かもしれない。
なかなかゆっくり、外側を見て歩ける機会なんてないものだから、記憶が更新されないでいた。
使い古された工事現場の足場や垂れ幕の下に、こんなにも美しい姿を隠していたのかと圧倒された。
レンガ造りの建物は優雅で、荘厳だ。
建物前の広場は十分すぎるほど広い。座るのも憩うのも自由で、日本という国の窮屈さからは程遠く豊かだった。
東京駅を見ながら、母校を思い出した。
東京駅のように背後に高層ビルをしょったりはしていないが、レンガ造りの建物だけ切り取って見ると、母校と東京駅は実によく似た雰囲気だった。澄んだ空気、紅葉した樹々。今頃、母校は、学園祭の時期だろうか。
美しさと懐かしさで涙が出そうだった。秋は郷愁を誘いすぎて、困る。
用事を済ませたあと、久しぶりの東京駅を少しブラついて、悩んだ挙句、KITTEの中にあるお好み焼き屋さんに入った。
昔、何度かいったことのある並木通りのイタリアンを訪れてみようかとも思った。
天下の丸ノ内まで来ておいて、お好み焼き!とも思った。
けれど、定期的にソース味を食したくなるのは、関西人のさがだし、先ほどの郷愁が、私に粉物を選ばせたのに違いない。
お好み焼き屋さんでは、イカ入りの焼きそばを注文した。
後から来た人が、ハフハフと美味しそうに鉄板のお好み焼きや焼きそばを食べている中、なぜか私の焼きそばだけが、なかなかやってこない。
飛ばされたんだろうなと気がついて、店員さんに声をかけると、お店の人が3人くらい続けて謝りに来てくれた。恐縮する。
サラダをサービスしてくれたりして、これまた恐縮。
これが、数年前の私だったら、イライラが収まらなかったかもしれないな、と運ばれてきたサラダをつつきながら思う。
子どもを保育園に預けて横浜から東京まで出ていき、システムエンジニアをしていた頃だったら……
サラダなんかでごまかすな!と思っていたかも。
言う勇気はないけど。
もうとにかく一分一秒も、逃せないような生き方をしていた。
会社からの帰りの電車の時間も、バスの時間も、どれに乗れば、保育園の通常保育時間に間に合って、どれに乗れば、延長になってしまうかまで、細かく把握していた。
その帰りの時間から逆算して、お昼を食べられる時間はどれくらいあるか。外に出て食べられるのか。もしくは外に行く時間はなくて、パンをかじりながらパソコンの前で作業するしかないのか……
そんなところまで、計算していたから、焼きそばが出てこなければ、「昼休みの貴重な時間を!!くそっ」と思っていたに違いない。
今は、子ども達は大きくなったし、夫は在宅勤務でほとんど家にいる。私が、家族の中で一番最後に帰宅したとしても、なんら問題はない。
ほんの数年で、状況は大きく変わる。
余裕ができて、他人の失敗にも寛容でいられる今の自分も好きだけど、あの頃、小さなキャパで家族も仕事も全部抱えてきりきりまいだった自分のことも、愛してるぞって抱きしめてあげたいよなぁ。
よく頑張ったって。ありがとって。
だから今があるよって。
焼かれてすぐに鉄板に運ばれてきた、あつあつの焼きそばを食べながら思うのだった。
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