まぶしいほど晴れた秋の遠足

先日、娘の遠足があった。

小学生になって初めてだ。

春に予定されていたものは、感染者の増加により中止になってしまったから、
関わる人の多くは、秋のこの日を待っていた、と思う。


けれど、直前になっても、大人も子供も誰一人、
「来週、遠足だね。楽しみだね。」
とは言わなかった。

楽しみになんて、できなかった。

何度も何度も、
子供たちは楽しみにしていた機会を、
奪われてしまっていたから。

言ってしまって、
もしもまた、直前に感染者が増えたとか、
最強の変異株が現れたとかで、
中止となり、落胆することになってしまったら。

もう傷つけたくないし、
傷つきたくない。

「行けるかどうか分からないけれど、
 行けたら良いね」

先生も、子供たちも、親たちも。
一様に、そんな言い方をした。

行かせてあげたい、行きたい。
気持ちをグッと押し殺して。

そして、静かに。
声に出すことはなく、
それぞれの胸の内で、祈ったのだと思う。

どうか、無事に遠足に行けますように。
当日、晴れますように。




そして当日。
窓を開けると、世界が発光してるのかと思うほど、
眩しく晴れていた。

感染者も減少が続いている。



遠足だ!遠足に行ける!
今度こそ、本当に行ける!

いつも朝は、ベッドでグズグズする娘。
けれどその日は、

「晴れたよ!」

と言うと、スクっと起きて、
リクエストしていたおかずで一杯のお弁当をチェックし、ニコニコとリュックに詰めた。

それから、水筒に一杯のお茶を首からかけて、

「ランドセルよりは、すっごく軽い!」
「帰ってきたら、たくさん遠足のお話ししてあげるね!」

と弾ける笑顔で、学校へ駆けて行った。

あぁ、楽しみにしていたんだな。
言葉に発していたよりも、ずっと強く。
と思ったら、泣けた。



学校の中での給食は、ずっと黙食が続いている。

いただきますをして、
マスクを外した瞬間から、
一言でも発すると、先生に厳しく叱られる。

保育園時代は、
食育の意味でも、
給食の時間をすごく重視されていた。
食べながら、給食の先生から話を聞いたり、自分たちで作った野菜や味噌が給食に並んだり。
楽しくなるように工夫されていた。


そこから180度変わってしまった、小学校の給食時間。
話を聞いていると、どうも完食できない日が続いているみたいだ。

先生方は命を守るために、色々悩んで、
黙食を進めて下さっていると分かっている。
誰も責めることはできない。

けれど、もしかしたら、学校の中で、
最もストレスのかかる時間なのかもしれないなぁ、と心配していた。



しかし、遠足の日だけは、
話すときに口を押さえる・グループのお友達とだけ、などの条件付きで、
会話しながらの食事が許されたらしい。

どんなお弁当だとか、
好きなおにぎりの具は何かとか、
おやつに何を買ってきたかとか、
そんな他愛もないことを、
おしゃべりしながら、見せ合いっこしながら食べたお弁当。

すごくすごくおいしかったと、
空になったお弁当箱を見せ、
生えてきたばかりの八重歯をのぞかせながら、伝えてくれた。

それから、
ビニール袋いっぱいになるほど、色づいた葉っぱや、木の実を見つけたこと。
お友達と、秘密の祠みたいな場所を見つけて、お参りしたこと。
たくさん歩いた道筋と、起こった小さな事件の数々。

歩いて痛くなったという足の裏をさすりながら、
ずっと笑顔で、楽しそうに話していた。

私は、良かったなと思いながら、
目を細めて聞いた。



遠足はまだ、非日常のできごとだったけれど、
これが日常に、なると良いなぁと思う。

少しずつ、少しずつ、
この閉鎖的な空間に、小さく開いた風穴が、
広がっていけば良いなぁ。




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