小学1年生の“幸福論”
「あ〜あ、昨日はなんにもいい事なかったなぁ」
今朝、起きて早々、5才の息子が言う。
昨日。
朝はおしゃべりが止まらなくて、幼稚園に行く時間になって、朝食のお皿を下げられた。夜は娘が本を読んでいて、一緒に遊んでもらえなかった。そんなことが続いた一日を振り返っての発言だった。
私は言う。
「それは残念だったね」
おざなりな声のかけ方で、息子はムッとしている。
息子は、最近こういうことをよく言う。
「今日一日、楽しいことなかったなぁ」なんて。たぶん構って欲しいんだけど、毎回本気で話を聞いていると、こちらも気が滅入るし、朝は特にハッと気づいたら送り出す時間になっているので、サラリと流すことにしていた。
今朝は、そんな息子を見て、
小学一年生の娘がこんなことを言った。
「じゃあ、どうしたら楽しくなるか、教えてあげるよ!」
息子は、私がクドクド語るとすぐふざけてくるのに、娘の言うことは静かにふんふんと聞き始めた。姉こそ、人生の師だと思っているみたいだ。
何を言うんだろうと気になって、食器を片付けながら、私も聞き耳をたてた。
「ひとつ目。今日を楽しく過ごそうと思うこと。
ふたつ目。自分が今、やりたい事をやること。
みっつ目。お友達を誘って遊ぶこと。」
娘がスラスラと、この3つを挙げたことに私は驚いた。いつからこんなこと考えてたんだろう。
娘は息子に復唱させた。
「私が言ったこと、もう一回言ってみて。
ひとつ目。今日を楽しく過ごそうと思うこと。そう思うことがまず、大事だよ。」
「今日を楽しく過ごそうと思うこと。」
素直に繰り返す息子。
「ふたつ目。自分が今、やりたい事をやること。本を読んでもいいし、かけっこしてもいいんだよ。自分がやりたいことは何かなって考えてみて。」
「自分が、やりたい事をやること。」
「みっつ目。お友達を誘って遊ぶこと。お友達と遊ぶと楽しいでしょ」
「うん、お友達を誘って遊ぶこと。」
「うん、いいね!」
娘に褒めてもらって、息子はニッコリした。
そして、今日は扉の外の寒さなんて感じさせない明るさで「いってきまーす!」と言い、出かけて行った。
昨日のグズグズが嘘みたい。今日は娘のおかげでしっかり、エンジンがかかったみたいだ。
私は、娘と二人になったので聞いてみた。
「ありがとうね。息子、今日はご機嫌で幼稚園行ったよ。ところで、さっきの“今日が楽しくなる方法”は、今、思いついたの?」
「うぅん、私いつも考えてるの。どうしたら楽しくなるかなって。それでね、この3つだなって思いついたの。だからね、いつもこの3つのことを思って、過ごすことにしてるの」
私は、娘が自分なりに考えに考えて、この3つに辿り着いたんだなと感心した。
本を読んだり、
学校に行ったり、
ピアノを弾いたり、
宿題をしたり。
日常を送りながら、なんとなく言われた事だけをやってるのかと思っていた。
けれど、誰から言われたわけでもない、人生の一番大事とも思えることに、正面から考え取り組んでいたのか。
私は、娘の“日々が楽しくなる方法”はこんな風に考えたら、大人にだって十分伝わる“幸福論”になるなと思った。
ひとつ目。今日を楽しく過ごそうと思うこと。
=まずは自分で楽しく幸せに過ごそうと、積極的な意思持つこと。
ふたつ目。自分が今、やりたいことをやること。
=自分が“本当に”やりたいことに目を向けて、それを後回しにせず、今、実行すること。
みっつ目。お友達を誘って遊ぶこと。
=自分一人だけ幸せ、なんて事はきっとあり得ない。周りの人も一緒に巻き込んで楽しく、幸せに過ごそうとすること。
私もそんな風に、日々を過ごしたい。
「すごいね。」
私が言うと娘は、
「ふつうだよ」
と、少し照れた。表情は、小学一年生らしいあどけないものだった。
その顔を見ながら、この先にどんな忙しさや、苦しいことがあっても、どうしたら楽しく幸せになれるか、今考えていることを、どうか見失わないで欲しいなと思った。
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