StudioShonanTopolino

フリーのフォトグラファーです。 ちゃんと稼げてません。(笑) 気軽にお読みください。 …

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フリーのフォトグラファーです。 ちゃんと稼げてません。(笑) 気軽にお読みください。 写真について、レッスンなどなんでも承ります。 お願いいたします! http://topolino-photo.watson.jp/

最近の記事

鵠沼海岸 シルエットのサーファー

    • 雨のなごりを歩く

      「写真を撮る」なかで、「深手を負って」しばらく撮れずにいた。 「傷」が癒えるには、長い時間がかかりそうだ。 しばらくぶりに、雨上がりに、撮りに出かけた。 やはり、こういうシチュエーションのほうが、「撮りたい」気持ちが素直に大きくなる。 やや高く上った太陽が、雨の残るウッドデッキに反射する。 ちょうど、強い風で落ちたであろう青もみじと重なる。 周りに木々の影も入って、いい感じになった。 一枚、こういうのが撮れるだけでいい。 こういう発見が、写真を撮ることと重なるのが、楽し

      • 「限定」の中の「写真」

        最近、フィルム時代のカメラを「復帰」させようとしてます。 デジタル一眼に無い味が少しあるからです。 それは、不便な部分の向こう側にある世界です。 デジタルになって、撮影できる範囲は、大きく広がり、フィルム時代に比べたら、広大過ぎて「限界」が無いみたいになっている。 それは、あらゆる面で、「無限」というか、「限定解除」なのだ。 「限定解除」は、悪いわけではない。 正しい使い方をすれば、悪いことではない。 フィルム時代だって、いろいろに「無限」を表現しようとしていた写真家

        • 耕す vs 掘る

          早朝、近くの鳥獣保護区へ。 途中の農地で、ちょっと引っかかる。 レタスの収穫をしている農家の方と少し話をして…。 その傍らのネギ坊主が、いい感じだった。 保護区は、この数年、魅力が薄れる一方だ。 カワセミもいなくなった。 近くの県道312には、この地区を通り抜ける計画がある。 幸いなことに供用が進まず、計画以来60年、完成にまだ10年は、かかるだろう。 作物を作るのではなく、地べたを無駄に掘りたがる神経は理解に苦しむ…。

        鵠沼海岸 シルエットのサーファー

          「焦げパン」は、「贅沢」…ん?

          敢えて、焦げパンに焼いてみる。 先日の初代焦げパンの影響だ。 バターも好きなのだが、最近は、ジャムのほうが好き。 オレンジとブルーベリーの2種。 どちらも浅煎りのコーヒーのテーストに例えられる。 浅煎りのコーヒーを飲んで、そのテーストを感じ取り、また、焦げパンを通して、2種のジャムのテーストを感じ取る。 似通ったテーストを少し時間をかけて、味わう。 …面白さは、モノへの探求へと続く。 じんわりと感じ取るモノは、地味だがある種の贅沢さへとつながるのではないかと思う。

          「焦げパン」は、「贅沢」…ん?

          「良い道具」

          ハンドドリップのコーヒーサーバー。 毎朝、いや、多い日には、3~4度使う。 使い勝手がよいうえに、「良い道具」としても美しさを感じる。 この写真を撮っているカメラも、「良い道具」としての美しさを感じる。 そして、好きな「良い道具」は、どこか「プロフェッショナル」的な感覚を感じさせてくれる。没入感を与えてくれる。 …「良い道具」のデザインは、昔から続いているものが多いように感じる。 「良い道具」は、ひとに寄り添っている、と感じるのは、私だけ?

          「良い道具」

          「焦げパン」× 「果実たっぷりオレンジジャム」≒ 「浅煎りスペシャルティコーヒー」

          昨朝のこと、久しぶりにベランダで、軽い朝食をとった。 コーヒーは、いつものようにスペシャルティのハンドドリップ。 パンは、昨日、焼き損じた焦げパンに、果実たっぷりのオレンジジャム。 焦げパンは、火加減を間違えた、立派な焦げパン。 でも、果実たっぷりなジャムといっしょに食べることで、ある発見があった。 それは、ジャム焦げパンと浅煎りスペシャルティコーヒーの共通の味覚。「果実」×「コゲ」なのだ。 ご存じの通り、コーヒー豆もローストする。そして、コーヒー豆も元々果実。気がつくと、な

          「焦げパン」× 「果実たっぷりオレンジジャム」≒ 「浅煎りスペシャルティコーヒー」

          今年の桜

          https://youtu.be/UZdxE3gTKOI 私は、名所へ行って「○○○○の写真を撮ってきました」とか言うタイプではないのですが、この桜だけは気になる。 長野県阿智村の「駒つなぎの桜」です。 言い伝えでは、源義経が奥州へ下る際に、馬をつないだとされています…。 枝ぶりがきれいな桜なのですが、できれば印象的な風景に包まれた瞬間を撮りたい。 …雨、もしくは、雨上がりを狙いました。 ある日の朝、雨上がりで少し冷え込んでいたので、雲とか、かかってチャンスかな、と思

          ちょっと、文字から離れてた…

          なんだか、わからない、ヘンな忙しさで、"note"から離れてました。 しいて言えば、画像や動画で苦しんでました。YouTubeの動画記事を作って、アップしてたのですが、ちょっと収集が付かない題材を捕まえてしまって、着地点を一時見失って、グルグル回ってました。 この記事です。 新しいレンズの特に高性能な部分が、撮影に影響していることを題材にしているのですが、その画像を撮るには、何十枚も撮らなければならず、それでグルグル回ってました。わかりやすい画像を撮るのは、難しい。 最

          ちょっと、文字から離れてた…

          写真はカメラで決まら…

          こんばんは。 note に何か書く時は、たいてい長野に来ています。アパート借りてるのですが、ネット環境が無いのです。テザリングで繋いで細々と書いてます。※差し込んでる写真と本文の関連は、ほぼありません。 一週間ほど滞在して、先生のギャラリーの番をしたり、間の休みに作品を撮りに行ったりしてます。 写真業界というか、一眼カメラ業界が久しぶりに活気づいてます。 ご存知の方も多いかと思いますが、キヤノンから高スペックのデジタル一眼が発売となります。上位機は、46万円です。ドキッ

          写真はカメラで決まら…

          写真のレガシー

          アサヒカメラが、休刊となる。 先日、「カメラマン」誌が休刊となったばかりだ。 写真誌が休刊となる背景の実態は、写真の形態の変化だ。 日本では、写真を「美術品」「芸術品」とする文化が廃れたのだ、と思う。 「美術品」「芸術品」は、「非日常」だ。 流行り、廃れ、これは、どの「世界」でも同様に発生する。「写真」も、あるフェーズが終わったと見るべきなのだろう。 「写真」が、形を変え、「日常」になったために、特別視をしなくなったのだろう。…日本では。 今、写真の在り方は、微妙だ。 私

          写真のレガシー

          カメラを止め…じゃない、使い倒せ!

          タイトル付けの元ネタが、やや古めで…。 写真を撮りたくて、会社を辞めた。 もうご存じのことと思います。 それほどに写真が好きでたまらない。 正確に言うと、目に見える「写真」的なモノが好きなのだと思う。 映画も大好きだ。 写真を撮るために、ぶらぶらしていると、もしくは、撮った後にひと休みしていると、同じようにカメラを持った人と「写真」の話をすることがある。まぁ、持っていない人とも「写真」について話しますが…。 カメラを持ってる人と話をしてて、よく訊かれるのが「どんな写真

          カメラを止め…じゃない、使い倒せ!

          「写真」が好きなんだよね?!

          何だか、最近、写真を撮ってて、いや、「写真」を取り巻く状況に多少の疑問を抱くようになった。 私も多少なりSNSで、写真のことについて書いたりしているので、SNS自体が「おすすめ」とか言って、「このコンテンツを見ろ」的に押し付けてくるのだが、「写真」的に控えめに見ても「なんでこんなモンを」というのが大多数で辟易する。 どれを見ても同じ感じのフワフワかキラキラで、ピントが外れてるの?それともソフトのかけすぎ?みたいに見える。 フィルムに変な目覚め方をしているのも気に入らない

          「写真」が好きなんだよね?!

          この一杯で…。この一枚で。

          日々ハマり続けているものにコーヒーがある。 ハンドドリップで、スペシャルティコーヒーに分類されるコーヒーを毎朝淹れる。多い日には、4杯ほど飲む。 テーストもさることながら、色に魅せられるのだ。 写真を撮っているときもそうだが、「これ!」と思う瞬間が楽しいのだ。 このご時世で、外に行くことがままならず、写真が撮れない。 多少なりイラつくこともあるのだが、コーヒーのおかげで和やかさを取り戻せるのだ。 写真関係の次にコーヒー関係の友達の数が多い。 コーヒーの話をしだすと、写真と

          この一杯で…。この一枚で。

          寄り道…感じるままに。

          桜の季節に、このウィルス感染騒動となってしまって、あちこち行くことに罪悪感を感じてしまうようになった。 人が集まるところを避けて、「風景」を求めていつもの中央道を走った。 広がる桃の花が目に飛び込む。 遠目に人が集まっているように見えなかったので、全くの予定外にインターを降りる。 「この辺だよなぁ…。」の勘で、車を進ませる。 導かれるように、ある空地へ。ちょうど、地元の人が隣のスペースへ車を停める。 停めていい場所か、念のために、訊いてみる。問題ないようだ。 これかきっかけで

          寄り道…感じるままに。

          超えること

          先日、約2年ぶりに鵠沼海岸で、ミツユビシギを撮った。 この場所でのミツユビシギは、過去、月刊カメラマンのコンテストで賞をいただいたこともあり、なんとなく封印していたのだ。 似たような写真を撮りたくない、という意地なのだ。 時間が経って、改めてミツユビシギを見て、あの時より、もっと細かく見ることができるようになったかなと思った。 早朝二日間で、過去例を見ないショット数だった。