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【ショートショート】「みちあんないするカーナビ」(5,269字)
「面白いカーナビ買ったからドライブ行こうぜ」
大学の同級生である紅葉谷の誘いを受け、俺は原付で紅葉谷のアパートへ向かった。
新しい車ならまだしも、新しいカーナビを買ったからドライブに行きたいなど、いかつい体格をして可愛いところもあるもんだ。俺はアパートの駐輪場でヘルメットを脱ぎながらそんなことを思った。
数年前まではただ道を教えるだけで、場合によってはその道さえも遠回りであったり海の上を走っている表示がされたりと、確実な手段ではなかったカーナビだが、最近は精度も上がり、好きなキャラクターの声でナビゲートしてくれる機能もあるという。
もし萌えキャラなんかの声で案内されたらどうしよう。特に偏見があるわけではなかったが、紅葉谷の見た目とのギャップに引いてしまうかもしれない。
俺は覚悟して呼び鈴を押した。
「おう、来たか。早速行こうぜ」
紅葉谷はキーホルダーのたくさん付いた車のキーを指でくるくると回しながら駐車場へと向かうので、俺もそのあとに続いた。
「それにしても、カーナビを新しくしたから来てくれって、そんなにいいカーナビなのか?」
「ああ、すげー面白いカーナビなんだよ。それに、どんなカーナビであれどうせ暇だったろ」
「まあ、否定はできないな」卒業できる程度には大学の単位を取ってしまい、バイトもしていない。俺は年間百日くらい暇だった。
それにしても、『面白いカーナビ』とは奇妙な表現だ。普通のカーナビに情報がないような観光スポットでも案内してくれるのだろうか。
俺はさしたる期待もせずに、紅葉谷の愛車であるスズキワゴンRの助手席に乗り込んだ。男二人、足元にはごみが散乱しており、とてもドライブという雰囲気でもなかった。
エンジンをかけると、同時にオーディオスペースに取り付けられていたカーナビが現在地と周辺の地図を表示した。なんの変哲もない、よくあるカーナビに見えた。
「よくあるカーナビに見えるだろ?」
「まあな」
「ちょっと待ってろ」
紅葉谷は慣れない手つきでカーナビを操作しはじめた。すると、画面にいくつかの選択肢が表示される。『食事』『観光』『動物』『体験』……おそらくいずれかのボタンを押すと、周辺のスポットに案内してくれるものだと思われた。
「押してみろよ」
紅葉谷が促すので、少し迷って『食事』のボタンを押した。昼を少し過ぎており、俺は腹が減っていた。
【案内を開始します】
カーナビが機械的な女性の声を出した。画面が目的地への経路を表示するので、紅葉谷はそれに従って車を走らせはじめた。
「俺、目的地を指定してないけどいいのか」
「大丈夫、こいつが案内してくれるから」
「いや、俺ラーメン食べたいんだけど……」
「ラーメンなんていつでも食えるだろ。もっと冒険しろよ」
嫌な予感がした。
この紅葉谷という男、根は真面目でいいやつなのだが、ミーハーというのか、新しいものや珍しいものに目がないのだ。俺もこれまでいろんな場所に付き合わされ、ときには痛い目をみてきた。
ワゴンRは福岡県を東西に貫く国道3号線を北九州市から福岡市方面に進んでいた。そのまま十分ほど経過したところで、
【次の信号を右折です】
という声がした。
紅葉谷は案内に従い、その後も何度か右折や左折をくり返した。
【目的地に到着しました】
やがてワゴンRは薄汚い――と言っては悪いが、まあ薄汚いとしか言いようのない定食屋の駐車場に停まった。車一台分しか停められない駐車場には草が生い茂っており、俺は不安を覚えた。
「大丈夫かよ、ここ」
「大丈夫だって。相変わらず心配性だな」
「お前が無神経なだけだ」
俺たちは連れ立って店内に入った。
「らっしゃい」
俺たちを認めると、店主と思しき無精ひげの生えた老人は、不機嫌そうに、読んでいた新聞から顔を上げた。
四人掛けのテーブルと二人掛けのテーブルが二つずつあったので、俺たちは四人掛けのテーブルに腰かけた。どうせほかに客は来ないだろう。
ラーメンくらいはあるだろうか、まあこういう店の方が意外と旨かったりすることもあるし――そんなことを考えながらメニュー表を開いて、俺は愕然とした。
メニュー表には『エスカルゴのバター炒め定食 一二〇〇円』という文字しか載っていなかったのだ。
「お、エスカルゴじゃん! 俺、食べたことなくてずっと食べたかったんだよな。お前は?」
「いや食べたことねーよ。ってかエスカルゴってあれだろ? カタツムリだろ? カタツムリしか置いてない定食屋なんてあるはずないだろ」
「実際ここにあるじゃん。きっとあのおっちゃんがフランス料理のシェフかなんかなんだろうな。腹減ったからもう頼んじゃうからな」
「無理無理無理、あれってフランスとかから輸入するんじゃないの? こんなとこで出てくるカタツムリなんて、絶対裏の駐車場とかから拾ってきたやつだろ」
「どこで捕まえようがカタツムリなら一緒だろ? おっちゃん、エスカルゴ定食二つね!」
抵抗する俺をよそに、紅葉谷は勝手に注文を済ませてしまう。店主は頷くと、奥に引っ込んでいってしまった。
十分ほどして出てきたエスカルゴからは、バターのいい香りがしており、未知の食材にも関わらず、思わず俺は腹を鳴らしてしまった。
「いただきまーす」
紅葉谷ははじめて食べると言っていたくせに、殻に入ったままのカタツムリを箸で器用に取り出すと、三つまとめて食べてしまった。
「これ超うまいから、お前も早く食べてみろよ」
「マジかよ……」
他のメニューがない以上、選択肢はなかった。数分間の逡巡の末、俺は覚悟を決めてエスカルゴの一つを口に運んだ。
「………………旨い」普通に旨かった。
「だろ! だから言ったじゃんか」
紅葉谷の得意げな顔を見ないようにしながら、気づけば俺は皿の上のエスカルゴを白飯とともに完食していた。
「来て良かったなー、いい経験できたよ。誰かさんも嫌がってた割にはおいしそうに食べてたし」
「別に、そんなに嫌がってねーよ」
「さ、次はどこに行こうか」
「まだ行くのかよ」
「当たり前だろ。まだまだ時間はあるんだ。次の目的地を選んでくれ」
俺は特になにも考えずに『動物』のボタンを押した。犬や猫などの動物はどちらかというと好きな方だった。紅葉谷は機嫌よくワゴンRを発進させた。
【このまましばらく直進です】
車は遠賀川沿いの道を走りはじめた。水面が太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。ボートで釣りをしている親子がなにかを言って笑い合っていた。そういえば今日は土曜だったか。
そのまま直進を続けると、
【もうすぐ目的地に到着します】
カーナビの声がした。そこはなにもない場所だった。
少し先に坂道を降りて河川敷を散歩できるコースがあったはずだが、たまに釣り人がいるくらいで、『動物』が飼われているような場所もないはずだった。
【目的地に到着しました】
着いたのは、やはり河川敷の小さな駐車場だった。
「壊れてるんじゃないか、それ」
俺はカーナビを指さすが、
「馬鹿、カーナビ様が着いたって言ってるんだからここで合ってるよ。早く降りるぞ」
河川敷を散策しはじめた紅葉谷を尻目に、俺はポケットから煙草を取り出すと火をつけた。
近頃は喫煙者も肩身が狭くなったという。煙草を吸いはじめて間がない俺には実感がないが、こうして水面を眺めながら煙草を吸うというのは贅沢な時間なのだろう。
気持ちの良い風を感じながら、煙を大きく吸い込んで、ゆっくりと吐いた。次の瞬間、
「ひぃぃいぃぃあぁぁぁぁぁぁぁ!」と、まるで女性のような悲鳴が聞こえた。
驚いて声がした方を見ると、紅葉谷が腰を抜かして座り込んでいた。
「どうした?」
紅葉谷は顔を真っ青にして一点を指さしていた。
紅葉谷が指さす方に目をやると、大きな蛇――いや、ずんぐりと胴体の太い蛇によく似た生き物が地面を這うのが一瞬見えた。
「ツ、ツチノコだ!」
紅葉谷が叫ぶので、俺はまさかと思いながらもう一度未知の生物がいた方を見るが、すでにそこに未知の生物の姿はなくなっていた。
「大丈夫かよ」俺は腰を抜かしたままの紅葉谷を引き起こしてやる。
紅葉谷は取り繕うようにひとつ咳払いをすると、尻に付いた泥を払いながら言った。
「あれを捕まえてたら、俺たち億万長者になれてたのにな」
「馬鹿言うな、ツチノコなんて実在しねーよ」
「じゃああれはなんだったんだよ」
「空き缶を呑んだ蛇じゃないか?」
「馬鹿はどっちだよ」
結局、俺もあれは(おそらく)ツチノコであろうと認めざるを得なかった。
ただ、紅葉谷は爬虫類全般が苦手だというので、それ以上ツチノコを探すことは諦めて早々に車に戻った。
紅葉谷は「ツチノコは動物じゃないだろ……」とかぶつぶつ文句を言いながら車を発進させた。その点については俺も同意した。
川沿いの道を外れ、紅葉谷は再び福岡市内の方向へ車を走らせた。
「結局、なんなんだよ。その妙なカーナビは」
俺は我慢できずに尋ねた。目の前のなんの変哲もなさそうなカーナビによって、さっきから奇妙なことが続いている。
「まだ気づいてなかったのかよ。このカーナビは『みち』の案内してくれるんだよ」
「『道』の案内って、普通のカーナビじゃないか」
「違う違う。『道』じゃなくて、『未知』。これはまだ知らないものや見たことのないような未知の案内をしてくれるカーナビなの」
そんな馬鹿な。俺は思うが、確かにエスカルゴもツチノコも自分の中では未知との遭遇といってよかった。
【このまましばらく直進です】
困惑する俺をよそにカーナビはそう告げた。
先ほど『体験』のボタンを押し、ワゴンRは目的地に向けてスピードを上げていた。
「未知の体験っていうとどんな体験かな。バンジーとか? ひょっとするとスカイダイビングかもな」
紅葉谷は見るからにわくわくしていた。その姿を見て、俺は少しうらやましくなる。
「いいよな、その性格」
「え?」
「お前のどんどん新しいことに挑戦する性格だよ。俺はなにをするにせよ、挑戦ってあんまりしないからな」
昔からそうだった。目指すものがいつもと同じあれば安心したし、あえて道を外れようとも思わなかった。思えば刺激の少ない、平凡な暮らしをしているものだ。
「お前は心配性なんだよ。無意識のうちに失敗したくないって思ってるんだ。俺みたいにどんどん挑戦してどんどん失敗すればいいんだよ。尻ぬぐいは誰かがしてくれる」
「そんなものなのかな」
俺は紅葉谷に断って煙草に火をつけた。
尻ぬぐいを人にさせるのはどうかと思うが、紅葉谷の言うことも一理あるのかもしれない。はたから見ても失敗ばかりの紅葉谷の人生だが、いつだって楽しそうで、傍らにはたくさんの仲間がいた。俺は心のどこかでそんな紅葉谷に憧れていたのかもしれなかった。
「まあ、ここまで来たんだ、とりあえず未知の体験ってやつも付き合ってやるよ」
俺は窓を開けて外に煙を吐き出した。
【もうすぐ目的地に到着します】
カーナビの声に、少しわくわくしている自分がいることに気づいた。カーナビの言うとおり、すぐにワゴンRは目的地に到着した。
車を降りると、俺たちは店の前に出ていた派手な看板を見つめた。
『にゃんにゃん娘イチャイチャ大作戦』――個性的な店名だった。
華やかな桃色に装飾された看板には、猫耳を付けた水着姿の女性がこちらに向けて笑いかけていた。
「ここって……」
足を踏み入れたことはなかったが、どうもここは女性が男性客に対して性的なサービスを行う店のようだった。
そこで俺の脳裏に閃くものがあった。
「まさか、未知の体験ってあれか……!」
俺と紅葉谷は顔を見合わせ、同時に噴き出した。
「お前、まだだったのかよ」
「それを言うならお前もだろ。カーナビに童貞卒業の心配してもらってんじゃねーよ」
「俺は途中までいったんだよ。お前なんて全然だろ」
「俺だってあるわ阿呆」
店の前で騒いでいると、店内からボーイ風の男が出てきて、「どうされますか?」と聞いてきたので、俺たちは慌てて車に乗り込み、その場をあとにした。
二人合わせて五千円ほどしか持っていなかったし、これまでのどんな未知よりも心の準備ができていなかった。
ばくばくと脈打つ心臓を落ち着かせるために、俺たちはコンビニに寄って一服した。無言で煙草を吸い終えると、並んで店内に入った。
「ちょっとトイレ行ってくる」
「ん」
俺は紅葉谷を待つ間、書棚の片隅にあった一冊の地図をレジに持っていった。
まだ知らなくていいこともあるかもしれない。それでも、少しずつでも新しいことに挑戦してみたいと思った。原付に乗って知らない場所に行って、知らない自分に会うような、そんな日があってもいい、そう思った。
俺はトイレから出てきた紅葉谷を急かすと、ワゴンRの助手席に乗り込んだ。日が沈もうとしていた。ただ、俺たちにはそんなこと関係なかった。
【これからどこへだって行けます。人生ははじまったばかりなのですから】
カーナビの案内に従って、俺たちはまだ知らないみちを走りはじめた。
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