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"批判"をなくしたチームは、心理的に安全なのか?


ひとりで行ける場所には限界がある。
だから他者に頼った。一緒に実現したい世界があった。
人の集まりがチームとなっていく過程には、唯一無二の物語がある。


あるとき、
「死ぬ気でやれ。やれないのは、能力が足りないってことだよな。」
と仰る方とチームになろうとした。
本人は超パワフル。強い自信を持っていて、もちろん能力も高い。

経験も知識も足りない年下の私は、プロジェクトリーダーの立場だった。
実現したい世界に対して、いまの私では余りにも力が足りない。
ごめんなさい、私にはできないです。何度もそう伝えようとした。


🌊

またあるとき、
「やりたいことをやりたいようにやっていいよ。ここは否定も批判もしない場所にしたいんだ。」
と仰る方とチームになろうとした。
本人はものごし柔らか。あまり主張しないタイプに見えるが、やりたい気持ちは伝わった。

新規立ち上げ経験は少ないが社会人経験は長い方の部下として、実務を支えることになった。
やらなければいけないことは多いが、働きかければ進んでいける。
「あなたがこのチームに入ってくれて良かった。」有り難い言葉をもらった。



⛺️

『私には能力が足りなくて、ご迷惑かけてすみません。でも一生懸命やってみたいんです。』
そう伝えかけたミーティング後の深夜、電話が掛かってきた。
「リーダーはいつでも笑ってろ。経験も知識も年の功だ。支えるのが経験のあるメンバーの役割だから。」

あの言葉はポジショントークだと気づいた。
能力が実際に足りなくても、詰められることは一切なく相談にのってくれた。
プライドが折れても、価値を出すものを作ろう。たくさん吸収して能力を上げて、この方に並んでも恥じない自分になろう。さらに熱が入った。


🌊

『タスク整理はこの形がいいと思います。この作業やっておきますね。』
提案内容に修正が入ることは少なく実現した。自由に動けて、楽しく働いていた。
「無理しないでね、調子よくないときはいつでも休んで大丈夫だから。」

安全なチームを作ろうとしてくれているのだと思っていた。
けれど、体調を崩してミーティングに出られなくても、タスクの進捗報告を失念してしまっても、メッセージが来ることはなかった。
私はそのチームに居なくても問題ないのかもしれないと思った。




"心理的安全性" が高いのは、どんなチームだろうか。
批判・非難は、ただ排除すべきものだろうか。

毎日、さまざまな方から、いろいろなことを学ばせてもらっている。



一時期バズワードのように感じられた "心理的安全性" とは、
「否定批判をしない」というルールを決めることではなく、
「人間関係が揺らぐリスクのある指摘をしても、その人が立場を追われることはない」という暗黙の了解がチームの文化になること、なのだそうです。





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