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転売規制、その先にあるもの:2 転売は悪いことなのか

本稿は、「転売規制、その先にあるもの:1 はじめに」からの続きです。


 はじめに、立ち位置を明確にしておこう。転売のどこがいけないことなのか、という立場をとる。それは、決して「転売ヤー」と呼ばれる転売する人や転売屋を擁護するわけではなく※4、転売規制の先で誰が困るのかが、最大の関心事としてあるからである。

 「価格は需要と供給のバランスで決まる」。中学で習ったのか、それとも高校で習ったのか、もはや覚えてないが、退屈な授業の中で、未だに印象に残っているものの一つである。そして、今日に至るまで、その世界で生きてきた、と思っている。つまりは、市場経済を基盤とする資本主義国で、という意味で。一方で、最末期ではあったが、中国を通して、計画経済の世界の一端を、わずかながら目撃したし、その後の社会主義市場経済の中で、雨後の筍のごとく、市場経済に群がる大衆の姿を目の当たりにしてきた。こうした経験をもとに、この問題を考えてみたい。ついでに、経済、あるいは法律の専門家でもないし、ましてや商売人でもないので、あくまでも一消費者の目線であることを付け加えておく。

 さて、転売ヤーたちがやっているのは、まさに需要と供給のバランスの関係での商売だ。それは、彼らが自分たちの行為を、正当化する理由でもある※5。考えてみれば、小売店にしたって、同じ発想で日々の仕入を行っているはずで、夏に、冬場並みのマスクを仕入れている店があるとは思えないし、今年の春は杉花粉が猛威を振るいそうだと報道されれば、例年より多くのマスクを仕入れるだろう。加えて、小売店にしたって、マスクを製造しているわけではないので、問屋から仕入れて、自分たちの利益を上乗せして消費者に売るのであって、仕入先が異なるとはいえ、行っている行為そのものは、転売ヤーにしたって、小売店にしたって、何ら変わりはない。安直に彼らの行為を否定することは、市場経済そのものを否定することになってしまうだけである※6。

 さらに、生産者にしたって、基本的には同様の思考で生産計画を立てるだろう。多くの需要が見込める時期は多く生産し、あまり需要が見込めない時は生産を抑えるといった具合に。さもなければ、つくりすぎが価格崩壊を起こし、自らの行動が自らの首を絞める事態も想定される。豊作に恵まれた、群馬県嬬恋村のキャベツが廃棄されるように※7。

 このように需給のバランスを考えながら、安く仕入れて、高く売ったり、捌く量を増やしたりするのは、商売の基本ではないのだろうか。一方、転売に伴う危険度を考えた時に、おいそれと転売に手を出すことが憚られることに気づく。何しろ、一般的な小売店のような仕入ルートをもたない彼らは、売れなかったときに返品等の補償が全くないはずだ※8。そう考えると、転売ヤーたちも相応の危険を背負っているといえる。そこでは、的確な情報収集、咄嗟の決断力、そして迅速な行動力が求められるのである。実際、後発組と思しきマスクの転売ヤーは、メルカリなどのフリマアプリから締め出され、その後、露店で売ることを余儀なくされ※9、結果、マスクが店頭に並び始めた5月中旬頃には、「利益ほぼなかった」という記事が出回ることになる※10。


転売規制、その先にあるもの:3 身近な問題としての書籍の絶版」へつづく

※この記事が期待外れだった方へ追伸
メルカリに跋扈する転売ヤーを正面から取り上げた記事を新たに書き下ろしましたので、こちらも合わせてご参照ください。

『メルカリの世界』(目次)

序章 メルカリ現象を読むということ
01 海外からアクセスできない!
02 見えてくる底辺転売ヤーの実態
03 底辺転売ヤーの採集方法
04 転売ヤーに売る人たち、転売ヤーから買う人たち

第1章 変わる価値観
05 ごみが売れる!?
06 メルカリ中毒のはじまり
07 「ごみ」から「在庫」へ
08 後塵の「ごみ」屋の奮闘

第2章 取引の現場
09 暗黙のルールという幻覚
10 苦手な価格交渉

※本稿は、合同会社Fieldworkerが運営するウェブサイト「Fieldworker's Eyes」に寄稿したものの転載です。そこでは、すでに全文が公開されています。長文なので、noteには、6回に分けて転載する予定です。なお、オリジナルでは、注釈も見ることができます。

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「転売規制、その先にあるもの:5 当然の帰結としてのアベノマスク」
「転売規制、その先にあるもの:6 情報化社会における価値観」

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