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下を向いて歩こう。 leica-Hektor 135mm/f4.5

下を向いて歩きましょう。

こんな冒頭から始まる、ポジティブな話があったらどんな物語が紡がれるのだろうか。

禍福はあざなえる縄の如し

韓非子、「解老」でも語られる著名な格言は、韓非子のそれではなく、老子の言葉である。この言葉の咀嚼から抽出され得るエッセンスを、如何様に己のOSにインストールするかは、人生の「面白きかな」パロメータ値に新たな次元の多様性を見せてくれるように感じ、面白い。

生きていれば、良い時もあるし、じゃない時もある。禍福は人智を超えて襲いかかるのだから、僕たちにできることは常に意識をポジティブに持っていこうぜ、である。

人生はそのスタンスでいい。そう生きたい。がしかしである。

経営観では、あえてその人智を超えて、マニュピレーションしていくことが重要に思う。

順境で悲観し、逆境で楽観せよ

である。精神の持ちようとしては、「上を向いて歩きましょう」で生きたい。「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう」で上を向いていなきゃ、このノスタルジックでポジティブな歩みはできない。大好きだ。

しかし、写真観での視座からすると、逆説的に「下を向いて歩こう」と仲間を集めたくなる。どういうことか。簡単だ。ストリートのまさに足元に、被写体があるからだ。

地面に目を向ける。道路というストラクチャーにレンズを向ける。そこには、ヒトが社会がデザインした構造物が因陀羅網的にどこまでも地平の彼方へと伸びている。人々の移動や生活を最適化するために発明された「止まれ」といった記号はエモい。ヒトや人が生み出したありとあらゆる物質が持つ質量を常に一身に受け持ち、何食わぬ表情で、いつだって佇む地面はエモい。ありがとう。

エモいと人が感じる対象物とは、レンズを向け、感謝の心でレリーズボタンを切ることで、生命体であるか否かなんていう人間主体的な軛を超克し、対話が可能になるのであると直感的に思う。

作品はすべて、Leica M10-P -  Hektor 135mm/f4.5。上や平行に魅力的な被写体の母数がグッと少なくなる寒い季節には、望遠レンズを愛機に装着し、素敵なシンボルとの出会いも求め、下を向いてストリートに繰り出す。

地面を切り撮る時は、望遠レンズが好きだ。自分の影が入り込まないし、引いて撮れるから、、、安全だ。やってみると共感していただけると思うのだが、地面に素敵なシンボルなどを見つけて構図などを思案始めると、その楽しさから没入しすぎて接近する車の往来などに意識が向かなくなる。十分に注意して楽しんでほしい。

望遠レンズはレンジファインダーでは不利と一般的に言われる。しかし135mmにおいても、積極的にファインダーを覗き、二重像を合致させ、ちっちゃなブライトフレームに構図を決め、ヒョイと摘むように切り撮る一連の所作には、中毒性ある楽しさを包摂しているように感じてならない。

僕のLightroomにあるアルバム「下を向いて歩こう。」には、寒くなると素敵な仲間たちが暖をとりに続々と集まってくる。いずれ、素敵なネーミングを添えてコレクションとして発表したい。

人生を楽しみましょう。

何か感じるものがありましたら、ぜひnote フォローいただけると嬉しいです。それでは。

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