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毎日が学びの連続

だからスタートラインが違うんですよね。
勉強の話。

タカーシーさんが今習得されようとしているのは、私のような凡人の3ステップも5ステップも上の話(あるいは想像つかないほど遥か彼方ステップ!)。
“人に教える“という段階での「どうにかズルして早く覚える方法」なるものをゲットしようとしていらっしゃる。どゆこと!?

私ですか?
私が今学ぼうとしていることはねぇ・・・
というか、日々全てが学びなので。
なんてことを言うと目の前の課題から逃げるために誤魔化してる感じに聞こえるかもしれませんが、本当に日々のちょっとしたこと、例えば自分の予想に反して起こったハプニングだとか、衝突事故的に起こった問題だとかに出会ったときに、私はそれを「学びのチャーーーーンス!!」と捉えることにしています。

それは主に人とのコミュニケーションの中で起こります。近しい人ほど自分の主義主張を忖度なしで相手にぶつけてしまう傾向になるのが人の常。その時に気づくか否かで、学びとしての価値が人によって大きく異なるように思います。

気づかなけば何の収穫も学びもありません。そしてせっかくの “人としての成長” の機会を逃してしまいます。

私は若い頃は逃しっぱなしでした。
人が自分と違う意見を言おうものならムキになって持論を展開し、無理矢理相手に納得を押し付けたりしたこともあります。自我と負けん気の強さが、自分自身をもコントロール不可にさせていたという痛い思い出です。

人生は失敗の連続です。自分の性格や気質がそれを招くことは往々にしてあります。
私は何度も失敗を繰り返し、年齢や経験と共に少しずつ少しずつ 「これではいけないな」 という自覚を積み重ねることで大人になってきたと思います。

その中でも子供を持ったことは大きな学びの一つでした。
ある意味、自己犠牲の最たるものである子育ては、人間としての奉仕の精神、無償の愛の本質を理解させてもらえたように思います。(あくでも私の場合は、ですが)

今でも子供に教えられることは山ほどあります。

そういえば今朝もこんなことがありました。

娘が朝起きてくるなり「とても怖い夢を見た」と、ダイニングで食事をしている私に訴えてきました。
余りにも怖くて動けず、ベッドの中で「夢から分かる深層心理」を手元にあるケータイからネットで調べたそうです。

まぁ、仕事によるストレスが原因だろうと本人も見当はついていたにせよ、図星だったために、私にそのストレスの元となる職場の人間の不平不満を話し始めました。

娘の話を聞いていると、そのストレスの元凶として、会社の人事または採用に問題があるように思ったので、そもそも論として、採用システムについての問題を論じていると、娘は私の話を最後まで聞かずに、途中で踵を返してプイッと自分の部屋へと戻っていったのです。

なに?
こちらとしては、納得のいく答えを提供しているつもりなのに、なんで最後まで聞かない?
そもそもそっちから振ってきた話でしょうが?

しかし、ここが私の「間違い」です。
娘はまっとうな答えなど必要とはしていなかったのです。私が論じていた人事採用についての問題点、そんなことは百も承知なのです。だけれども大きな組織の中の一社員である自分には、会社の人事を動かす権限などなく、上司にそもそも論など言えるはずもなく、だから毎日ストレスが溜まるのであって、最初からそれができるなら悩むことなど一つもないわけです。

娘はただ、私に愚痴を聞いてもらいたかっただけなのです。アドバイスなどいらないのです。大体、娘が会社で対面している人たちのことなど私がわかるはずもなく、実際に毎日その人たちと仕事している娘にとっては「知りもしないくせに勝手なことばかり言って」という、ストレスの上塗りにしかなっていない。最悪なパターンです。

このパターンは私が普段職場で嫌という程味わっていることです。お客様の愚痴はただ聞いて差し上げるだけが一番。解決策を論じたりダメ出しなどはもってのほか。ひたすら愚痴を吐くだけでお客様はスッキリ満足されて帰っていかれるのを毎日のように経験しているのに、近親者にいたってはこのざまです。全くひとつも日頃の学びを活かせてないではないか!

反省しきりの私は、黙って去っていった娘に申し訳ない気持ちでいっぱいで、娘のストレスが少しでも軽減されるよう、今夜は美味しいご飯を作ってあげようと独りごちました。

しかも娘はその後すぐに気持ちを立て直し、いつもと変わりない笑顔で違う話題を振ってきました。もう、なんでそんなに大人なん?
私はただただ情けない親だなぁと、うなだれるのでした。


またまた真面目な話になってしまいました。
でもね、こうして毎日の生活の中にある小さな学びに気づくと、その度に 「あぁ助かった」 と思います。それは今だから気づけたことであり、もう少し若い時だったら「聞いてあげたのにその態度は何だ!」 などと自分もストレスを溜めていたか、下手をすると喧嘩になっていたと思います。それでは大切な人との関係性が悪化するばかりか、自分までストレスのかたまりになってしまいます。
今回はそうならなくて、そして娘を思いやる気持ちを持てたことに対して「助かった」という気持ちになりました。


学びたいことは本当はたくさんあるんですよ。
英語やフランス語や古典や哲学や心理学や。
しかしそういった新しい学びは、もう脳みそがスルーしてしまう年齢になってきました。学んでもすぐに忘れてしまうんです。そして忘れることがストレスになり、楽しくない。
この前読んだばかりの本の内容が思い出せないのは、とても情けなく、面白くなく、自分でも一体何がしたいのかわからなくなる。あぁ嫌だ。


はっ!すみません・・・愚痴ってしまいました。

楽しく学べるって、本当に幸せなことですね。
この先は楽しいなと思えることだけ、積極的に学んでいきたいです。情けないけど、これが本音ですね。
仕事でもない限り、今後の人生はなるべくストレスなく、楽しめることだけにフォーカスしていきたいなと、切に願う今日この頃。

タカーシーさん、今日は聞いていただいてありがとうございました。(無理矢理ですみません!)
そういえば、前回のタカーシーさんの日記にあった、“エビングハウスのなんたらかんたら”の話をぜひ次回お願いします。忘れることと復習することの関係性と学習のコツみたいなお話。楽しみにしていますね。わかりやす〜〜〜く、お願いしますね!

それではまた。


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#学び    #関係性   #ストレス   #話を聞く   #エッセイ

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