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リモートワークが気付かせたこと

緊急事態宣言からまもなく、娘はリモートワークに切り替わり、家で仕事をし始めてかれこれ2ヶ月になる。

昨日、東京都は緊急事態解除になり、今後娘の会社はどうするのか聞いてみた。

「まだコロナの第二波が来ることを考えると、しばらくはこのままリモートの体制を続けるらしいよ」ということだ。会社のパソコンを各々の自宅に送り、設置し、そのための補助金まで出してもらっていることを考えると、会社の出資金はかなりのものだろう。解除になったからといって、ハイじゃあ明日から出社ね、とはいかないのも頷ける。

そして娘はというと、元々「おうち大好きオタク女子」だからもうそれこそリモートワークは天国なわけで。

「朝の満員電車には二度と乗りたくない」とか「毎日出社するとかあり得ない。鬱になる」と今から出社拒否症候群になっている。

そして改めてこのリモートワーク生活で気付いてしまったという。

毎日どれほど「我慢する」という場面が多い生活をしてきたか。

会社にいるだけで、色んな人に気をつかい、嫌なことも顔に出さないようにし、一年中腰に毛布を巻くような寒い思いをし(冬はもとより夏は冷房病になるほど冷え冷えで一年を通して足元のヒーターを付けているらしい)自分の仕事に集中したくても下の人のミスをカバーしたり上司の無茶振りに応えたりしながら気付くと残業になっている。そんな生活を今までずっと我慢しながらやってきたということに気付いてしまった…らしい。

「もうさ、一生家にいたい。ここで自分の仕事に集中していたい。こんなに快適でいられるってこと、やっとわかったわ。」だそうである。

まあ、気持ちはわかる。わかるけれども仕方ない。それが「社会に出て仕事をする」ということだから。フリーランスで自宅勤務の人だって、仕事上たくさんの人との関わりの中でストレスはあるだろうし、家にいるからと言って全く嫌なことが起きないわけではない。

だけど、今までは「我慢していること」に気付いていなかった、と。そして出社せずに仕事ができる状況をしばらく続けていて初めて、いかにこれまでストレスフルな毎日を過ごしていたかということに気が付いてしまったら、もうあの渦中に戻ることがイヤでイヤで仕方ない、と。

その状況にならないとわからないことは世の中にはたくさんある。というか、人間は母親のお腹の中からオギャアと生まれ出た瞬間からありとあらゆる外敵との戦いだ。年を取るごとに経験値を上げ、スキルを身につけ、大抵のことからは自分で自分の身を守りながらすり抜けてきている。そうでなければ病気になったり現世を放棄するしかない。そこまでいかないために上手くやり過ごすという能力も身に付けつつ生き延びていく。そうやって知らず知らずのうちに強くなっていくのだ。強くなるとあらゆることに動じなくなる。ちょっとやそっとじゃ折れなくなる。ある意味鈍感になる部分もでてくる。そうしないと自分を守れなくなる。だからそれでいい。

それなのに。

娘はリモートワークという名の「繭」の中の快適さを知ってしまったのだ。母親の胎内とまではいかないまでも、その空間はあらゆる外敵から身を守ってくれる。そしてこれまで自覚のなかったストレスを浮き彫りにした。

なかなかこれは問題である。これからはリモートワークからの脱却が社会問題になっていくかもしれない。もう二度と戻りたくない。あのストレスフルな場所に。そういった社会人がこの緊急事態解除になった世の中にどれだけの人数いるだろうと想像すると、ちょっとうすら寒さを覚える。

これからはコロナ以前の社会には戻らないと言われている。それは間違いない。働き方も遊び方も人との接し方も。その中でもリモートワークを経験した人達の心身のアフターケアは結構重要課題なのではないかと思う。


会えなかった人達にやっと会える。閉ざされた空間から開かれた社会へ、というような前向きな動向だけではなく、反対の精神状態も多分にあり得る、ということ。

アフターコロナはまだまだ気付かれていない様々な社会問題を抱えてのスタートになる気がするのは私だけだろうか。

無理せず、ゆっくり、少しずつ。様子を見ながら変えていければいいのだけれど。いくら願われても二度とお腹の中には戻してあげられないからね。新しい世の中を作っていくのはなかなか一筋縄ではいきそうにないと感じる緊急事態宣言解除、初日の母心なのであった。


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