見出し画像

それを「高い」と決める判断根拠は何か

南米コロンビアの先住民族ワユーの女性手工芸家たちが作るバッグ(モチーラ、mochila)は、ちょっとした注目を集めつつあるようです。

とはいえ、僕は、ワユーの手工芸品に関することで修論を書きましたが、まだいまいち「注目を集めつつある」という、そうした実感があまりなかったりもするのですが。多くの人に知ってもらう、ということは嬉しい反面、一過性のような"ブーム"のようになってしまったら、それは本望ではないなぁ、と思ったりもします。

そんなモチーラですが、ラ・グアヒラ県を訪れる観光客が土産物として買うだけではありません。今やインターネットも発達しているので、オンラインショップで取り扱われていたりもします。日本でも、フェアトレードやエシカルファッションという形で、モチーラを取り扱う販売店もあります。

そういう商品に対しては、時々(しょっちゅう?)、「高いよね」という声が聞こえてきます。これはなにも、モチーラに限らずなのですが。

そういう人は、実は店側が暴利を得ているんじゃないのか、と疑がっているのかもしれません。利益がどこにいってるのか、本当に現地の人びとに還元されているのか、そういう疑問があるのかもしれません。それはもっともな疑問です。だから、フェアトレードやエシカルファッションを謳う販売店は、消費者のそうした疑問に応える義務があります。

さて、それはそれとして、この「高いよね」の言葉には、もう一つ、別の観点から言えることがあります。消費者が、それを「高い」と判断する根拠はいったいどこにあるのか、です。

少なくとも、現地で土産物として販売されているモチーラに関しては、一部の中間業者などが女性手工芸家たちから買い取る金額は安すぎる、という状況が見受けられます。消費者と直接的に取引する路上販売においても、観光客は値切ることが多いです。

しかし、どれだけの人が、ワユーの人びとの社会的・経済的状況(文化的も付け加えていいかもしれません)を理解し、合理的な判断の上で、それは「高いよね」と言い、そして「値切る」のでしょうか。

高い、もしくは安い、というのは相対的な評価なので、何か判断するための基準(相場だとか)のようなものがあるはずです。

今のところ、日本においては、モチーラに決定的な基準はありません。そもそも日本では出回ってる量が少ないですし、ワユーに関する日本語での情報はあまりありません。判断するための情報も根拠も乏しいのに、まるで何かの基準があるかのように、そして、その基準より「高い」と言えるのでしょうか。

そして、また別の視点から、「そもそもの値段設定が不当に安すぎた」ということがあります。現地の女性手工芸家たちに、制作したモチーラはいくらで買い取られるのか、もしくは販売しているのか、と聞けば、ちょっと安すぎない?と思えるような金額が答えとして返ってきます。

海外の消費者(国内においても言えますが)や観光客は、相手の社会的・経済的状況を知らないという無知と情報の欠如から、それを「高い」と言ったり、「値切る」ことをしたりします。

それを「高い」と自分が感じたのだから、相対的ではなく、絶対的な評価だと言う人もいるかもしれません。それなら買わなければいいだけの話です。それを欲しいという気持ちと、それに出してもいいと思える金額とが釣り合わなかっただけの話です。釣り合わないから「値切る」というのは、それに制作者や販売者が合わせるべきだという、傲慢な考えに過ぎません。

値切ることが合意できていればいいじゃないか、と言う人もいるかもしれません。消費者と制作・販売者が、本当に対等な立場であれば、僕もそうだろうと思います。でも、本当に対等な立場なのかどうかは、先進国の消費者側からは判断が難しいとも思います。

判断する際には、一度立ち止まってみて、果たして、自分がそう判断している根拠は何か、と考えるようにしたいです。

真心こもったサポートに感謝いたします。いただいたサポートは、ワユーの人びとのために使いたいと思います。