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すでに持っている「価値」

何か具体的にわかりやすいスキルが身につくものとは一般的に思われていない学問(人文学系はそう言われることがあります)は、仕事を得るのに不利だなんて言われたりします。日本に限らず、コロンビアでもそうです。現地の友人は、人類学とか哲学は就職に繋がらないって自虐的に言っていたのを思い出します。

僕は先住民族ワユーのことに興味がありますが、じゃあそれが何の役に立つの? と言われたら、確かに即答できそうにないです。

ワユーが抱えている諸問題は、ワユーだけに起こっていることではなく、実は、他地域にも共通して見られることだったり、グローバルな事象に密接に絡んでいたり、だからワユーを知ることで見えてくることもありますよ、なんてのらりくらりと答えることはできるかもしれません。

そんなことを言ってると、日経BPとかでコラム書いてそうなデキるビジネスパーソンに、ダメダメそんなんじゃ、エレベーターピッチぐらい短い言葉で心を鷲掴みにしないと、とかダメ出しされそうで怖いです。内心、うるせーなと思っています。あ、ごめんなさいごめんなさい、そんなこと思ってないです。すいませんすいません。

話を戻しますが、はてさて自分は地域研究や人類学を通して、どんなスキルが身についているんでしょうか。スキルとかそういうのんじゃないのよ、と開き直ることもできますが、なんかそうしたくないのです。

さて、そんなことを思ったり思わなかったりしてる時に、とある先生が言った言葉が腑に落ちました。

現地調査をしていること自体、それって実は優れたスキルだよ、と。

地域研究や人類学は現地調査がメインです。とりわけ人類学者は1年以上現地に滞在することもあります。僕は短期の調査はしましたが、長期調査はまだ未経験です。でも一応、する予定はあります。

現地で暮らすためには、まずはビザを取ったり、受け入れ先とメールでやりとりしたりと出国前の事務作業がたくさんあります。また、貸し家なり居候先なり、生活の場を調達しておかなけりゃいけません。現地の生活が始まったら、会いたい人や訪れたい機関の担当者にどうにか繋いでもらうために、あちこちアポイントメント取ったり交渉したりします。信頼関係(ラポールという用語がありますが)を築くために、コミュニケーション能力がついたり、人に喜んでもらうための工夫も生み出したりします。調査によりけりですが、インタビューしたり、アンケート調査したりもします。急に幸運な状況が降ってくること(例えば、今日会えるけど来れる? とか)も多々あるので、臨機応変にも対応します。悪いことに巻き込まれないように危機管理能力も必要です。

とにかくタスクを挙げたらキリがありません。しかも、それらのタスクはすべて、行く地域によって異なるので、調査する人の数だけアプローチがあるようなもんです。

僕は、やらなきゃ仕方ないので、修論書かなきゃいけないので、これまで当たり前のようにやってきました。そして、これからも準備しなきゃならないのでしょう。

でも、それって実は、当たり前じゃないみたいなんです。それって実は、他の人はあまりしていない、すごいスキルなんじゃないの、ということらしいんです。

知らないうちに、僕はそんなスキルを身につけていたようです。映画『ベスト・キッド』の上着をハンガーにかけるアレみたいですね。違うか。映画見てない人は無視してください。

僕に限らず、多くの人は素敵な価値をすでに持っているはずです。

最近ようやく、家事や子育てもスキルとして見直す動きが始まってきたとも聞きます。僕も、料理作りながら、洗い物したり、洗濯物回したり、あれが10分かかるから今はこれをしておこう、とか普通にやってます。そんなの当たり前と言ったら当たり前なんですけど、日常はタスク処理の連続です。ワユーの女性たちも、家事の合間に編物仕事をして、あんなに素敵な手工芸品を作ります。すごいじゃないですか。

だから、すでに価値はそこにあるんです。キノコみたいに、気づいたらポコっとそこに生えてるんです。

真心こもったサポートに感謝いたします。いただいたサポートは、ワユーの人びとのために使いたいと思います。