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正直な今の現状を書いてみる

いわゆる脱稿をして、2週間が経とうとしている。


脱稿後に、出来上がった見本誌を1冊
絶対に渡したかった友人に渡せたのと
最初に見せると決めていた友人に見せたこと以外は
まったく手がつかないくらい、脱力感でいっぱいだ。

あれを書かなければ、これを書かなければということが
どんどん積み重なってきていて
あっという間に出展予定の文学フリマ東京まで1か月を切ったというのに
出来上がった本の紹介も、出展する自分の紹介も、何も書く気力が湧かない。

本を作ることに、あまりにも力を出しすぎた反動なのか
単純に、言葉が降りてくるタイミングではないのか
わからないけれど、正直な気持ちとしては悶々としている。

焦りもあるし、不安もある。
やっぱり頭をよぎるのは
結局誰からも必要とされない本を作ってしまったのではないか
という、恐怖感。

これは、毎日、頭をよぎる。
5月19日まで毎日続くのかもしれない。
笑えない事実に、笑ってみる。

考えすぎなのだろうし
そういうことは抜きにして本づくりしたハズだったけれど
リアルな気持ちをちゃんと書いたときには
そういう言葉が並ぶから、変わらず弱さを抱えたままの自分がいる。

自分の本の紹介が書けないのも
全世界に誰にでも見れるところに、自分の作品をさらけ出すのが
単純に怖いのかもしれない。

本当に、今回、本づくりを通して何度も痛感するのが
すでに本づくりをし、表現をしているすべての人たちに対して
言葉にし尽くせないほどの敬意と、尊敬と、感動を覚えるということ。

たとえそこに、不安や恐れがあったとしても
表現し、それを人の目に触れるところで発信することが
どれだけ凄いことなのかを、いま実感している。

それが本であろうが、電子書籍であろうが、フリーペーパーであろうが
すべて、表現されたものへのリスペクトが、僕の中で止まらない。

今回、本づくりを通して、リアルにその部分に触れられたことは
自分自身の大きな体験として残ることだけは、絶対に誇れることだと思う。


こんな言葉を書いている暇があるのであれば
さっさと自分の作った本を紹介しろよという話である。

呼吸は相変わらず浅い。
受け入れよう、僕は本を作ったんだ。
本からは「外に出たい」という声が聴こえる。
素直に、その声にしたがって、本を外に出そう。

さあ、また、向き合おう。
止まることはない。
僕の物語は、止まらないのだから。

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