見出し画像

世の中には決まり事が多い

先週の本づくりの進捗を書く間もなく
また、月曜日を迎えた。

誰が、月曜日からスタートだと決めたのか。
火曜日がスタートでも
木曜日がスタートでも
土曜日がスタートでも
別に、いいじゃないか。

そんな疑問が、ふと、昨日頭の中によぎった。

世の中には決まり事が多くて
僕はその多くについていけなくて
辟易していたのに、その決まり事をしっかり守って
いつの間にか大事にして、生きている。

「あなたにとって、何が大事なの?」

何度も何度も、その言葉が、頭の中に浮かんでは消える。
たぶん何千回と繰り返し、自分に問うては、答えなんて見出せないまま。

そもそも、答えなんてないし、答えが必要なのか。
答えにしがみつくことで、何かまた、大切なものをこぼれ落としてやしないか。

そういうことの連続で、僕は在る。


「あ、これは、書きたい」

そう思って、数分後、別の何かが僕を捉えて
あっという間に、その「書きたい」を失ってしまう。

一日に何度も、何度も、何度も。
「メモをしなさいよ」と、それは正論かもしれないけれど
メモをすることも、なんか違うという、感覚。

理解されないけれど、何かにメモした瞬間に
頭の中に浮かんだ「ソレ」は、もう別のモノになってしまう。
そういう時がある。

だから、メモする時と、そうでない時は、使い分けている。
とても面倒くさい人間だなと、自分でも思うけれど
これが自分なんだと、思う。


そして今書いているこの文章も
特別何かを書きたいのではなくて
目的もなく、ただ、頭に浮かんだものを瞬時にアウトプットしている。

読んでくださった方がもしもいたら、ごめんなさい。
この文章が、ちゃんと「コンテンツ」であるという確証は持てません。
そもそも目的を持って文章を読むことが「目的」になってやしないか。
何かを得られなければ、それはすべて意味がないことなのか。
文章はコンテンツになっていなければ、ダメなのか。

何事も縛られるのが苦手で
決めつけられるのが苦手だ。

そう言っておいて、自分で選ぶことも"怖い"と思っている。
怯えながらも、考え、もがき、あがいて、いま息をしている。

どこまでいっても、マイノリティ。
「じゃない方」だから。

でも、だから、いま、本を作ることで
本を作る中で、自分と向き合うことで
何かを自分自身の手で、見出したいんだと思う。

やっぱり、動こう。
こんなもんじゃ足りない。
もっと、もっと、もっと動こう。

相変わらずの、月曜日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?