意識の使い方、I, I, I編【創造の固定源】

意識の使い方を学ぶのに必要なこととして、まずは自分が意識を使っていると気づくこと、そしてその内容の理解、それから使いたいように使っていくという実践がある。
「理解」まではこうした記事や講座を通して、ある程度は身につけてもらうことができる。ある程度というのは、完全な理解に至るには、自分で使う・経験することが不可欠だからだ。

意識について語るとき、覚えておきたいのは、私たちはすでにそれを使っているが、不随意に、無意識に、あるいは意識的に用いた場合ですらあたかも「思う通りにならないという状態が可能であるように」、経験しているということだ。

これが起こるのは意識の発信源への認識が固定されていないからで、それが揺らいでいる以上、いくら方法や型の扱いを訓練しても解決にはならない。
世の中には多くの、意識の使い方に言及した情報があり、それらの有益性にも関わらず結局「おじゃん」になってしまうのは、固定源が確立されていないまま意識の使い方だけを実践しているからだ。

そして、その固定源を確立するのに必須なのが、
「私とは何であるか」
という根本の理解なのである。

今回のタイトルを「意識の使い方、I, I, I編」としたのは、「I(アイ)」、「私」をどう見ているか、しっかり認識してほしいからだ。

どのIに自己を置いているかと、確認事項

率直に言って、私たちは「自分」をどのようにでも定義し、その通り信じることができるが、それらの体験がいかにリアルであろうと、ひとつの「I」であることをやめることはできない。
数多くの存在がいて、個々に境界がある異なる存在であると信じることができ、その中のひとりである「私」を経験をすることができるが、それは「夢を見ている者が、夢の中に登場するひとかけらだけを自分自身と思い込む」ことにたとえられる。本当は、夢全体が自分の中にあるのだ。

自分自身を、夢の中のひとかけらだと思っている者が「世界(経験している夢)をどう見るか」と、
これは自分の夢であり、私は夢を見ている者だという自覚のある者が「世界(自分の意識の中で創っている夢)」をどう見るかと、

両者に「違い」があることは明らかだろう。

この違いは大きい――こう並べて書くとそれは当然のことのようだが、この違いを踏まえてあなた自身の日頃の姿勢を観察し、次のことを確認してみてほしいのだ。

というのも、これから提示する内容がクリアーできていなければ、たとえばもしあなたが自身の意図を現実化することに技術的に長けていたとしても、「遊び方は上手だが、本当はどこかに帰りたい、心もとなく地球遊園地で遊んでいる迷子」のような状態に陥ってしまうのだ。

各確認事項の後には、ある同じ質問を繰り返す。
文章としてただ読むのでなく本当にあなた自身の心に問い、答えるようにしよう。

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