あなたの自由に条件は要らない【幻想に留まるくさびを外す】

不平不満や恨み、後悔や思い残し、自分に対してであれ他者や状況に対してであれ「あれが違っていたら・あのとき違う選択をしていたら」という思いなど……それらすべてを「解消・解決」するのではなく、「解除」することについて、私はこれまでの記事や講座で説明し、呼びかけてきた。
本人の感じている軽さ・重さ、重要度、程度の差はあれ、すべて「幻想の中に留まり続けるためのくさび」になっていることに変わりはない。
さらには「成功体験」と呼べるものも、その質によっては、見かけ上反対のベクトルの「同じくさび」になるが、それはともかく、なぜ解除という語を採用するのかの真意を今このときに念押ししよう。

あなたの自由は、何にも縛られて・制限されていないからだ。

この事実に基づいているから「解除」。つまり、「外(この世界・体験)」が自分を何らかの形で縛っていると信じる幻想を「解除」することで、それは自身の「結果」を「原因」にする錯覚から離れることであり、同じ幻想の基盤上で何かを変更しようとして「幻想が実在する根拠を強める」こととは全く異なる。

これについて、もうしっかり理解できているとあなたが感じているとして、では、次のことを問いかけよう。あなたは今もなお「とっておきの幻想」を信じていないだろうか? 正直に精査してみよう。
たとえば、

自分の立場や活動内容、仕事、交友関係、体の状態などが違っていたら……
自分にもっとこんな能力や、体力、才能があったら……
あの人の態度や対応、あの人の状況が、こういう風に違っていたら……
環境がこう変化すれば……
別の文化のもとにあれば……
時代が違っていたら……
世界情勢がこうなったら……
これが「地球」の体験じゃなければ……

そうしたら、私の感じることは違っているはずだ、内の状態は異なるはずだと想定していることはないだろうか。
言い換えると、あなたは何かの「条件」を実現することで、結果として幸せや平和な気持ち、よろこび、充実などを感じるに違いないと期待していないだろうか。

この発想がひとつでもあったら、やはり幻想を信じている。多くの幻想から離れたつもりで、心の中では大切にしまっている幻想があるのなら、全体として幻想を信じているというのと同じなのだ。
これだけは例外だ、私に幸せを(あるいは他の感情・感覚を)もたらしてくれるとあなた自身が保存しているものはあるだろうか。

例外はないのだ。
同じ発想、同じ思考の循環こそが「幻想の土台」を支えていると、はっきりと気づこう。「外側の状態が変われば、私の内も変わる」――この信念が、あなたを同じ幻想に固定するくさびなのだと自覚しよう。

真実に「半分の真実」や「あるものを除外すれば有効な真実」はない。そうなってしまった時点で、それは単に真実ではないということになる。

しかし、あなたが少なくとも概念上は真実を認めていたなら、それがどんなものかは理解していたなら、自分にこう問いかけてみよう。
間違っているのは真実の方だろうか? それとも、真実に例外を設けようとするあなたの思いだろうか? 答えを選択しよう。それはそのまま、あなたが幻想を維持したいか、そこからフォーカスを外したいかの選択だ。

神という呼称が必要なほど、自分を忘れて

真実を思い出したあなたからすると、なんと面白いことか……自己の思いを外側に映し出し、そのようにして体験している夢の「作者」であるあなたが、「外の状況によって自分が作られる」と逆に思い込んだことで不自由な感覚を味わうさまは。

えっ、そんなこと、できるの!? そこまで忘れることってできるの?
と、この体験を知らない「正気しかわからない」あなたであったなら、びっくりするに違いない。

けれどもこのゲームの中で、私たちはきれいに自己を忘れることに成功。
もちろん「全部」を忘れることなどできないので、何かしら自己を思い出す概念も作り上げた。それを人によっては神と呼ぶ。
こうして自分が切り離したと思っている部分、失ったと思っている自己への憧れや崇拝に対象を生み出し、それへの恐れも抱けるようになった。

外に見ているものと内を「分ける」思考を身につけたために、外側で起こることはあなたの意思とは関係のないものと体験され、あなたの信じた世界・そのような思考システムを「打破」するためには、それこそ「超常的な力」や「奇跡」が必要だと感じるようになった。

うわぁ、すごいジョークだよね。本当に理解すると、変な汗出てこない?
だってこれを理解すると……大変なことに気づいちゃわない??

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