意識を向ける割合は、表層2、深層8くらいでいいんじゃない?

意識をこの世の表層と、表層に現れていないもの(便宜上深層と呼ぶけど、「深」と言うほど遠くない層もある)に向ける割合は、2:8くらいでいいんじゃないかと最近思っている。見えるものと、見えないものにフォーカスを向ける割合と言ってもいいよ。

現代社会では圧倒的に表層に意識を注いでいて、それ以外は存在しないくらいの姿勢になっているよね。だからそのまま「ごく普通」に生きていると、見えているものばかりに意識を向け、その範囲だけが「現実」だと見誤る。
このバランスを、逆転しよう。
なぜなら、見えているものは文字通り、氷山のほんの一角だからだ。

冷静に考えれば、このことはわかりやすい。海の表面を眺めても、海の中のことまではわからないのと同じだ。海の中の豊かな生態系や、深海の様子、海洋山脈の世界……海面だけを見てそれらを理解しようとしたって、無理だよね。

インターネットもそう。多くの人が親しんでいる検索エンジンには表示されない深層ウェブ(Deep Web)の領域があるけれど、日々ネットを利用しながらも、そんなことは考えたことがない人もいるのではないだろうか。

これらは見た通りの表層だけでなく、深層が存在することを実感してもらうための物理的たとえだが、意識と現実の関係もそうだ。
現代社会で「現実」と呼んでいる、物質世界の様相にのみ意識を向けていると、本当のところ何が起きているかなんてわからなくなってしまう。

表層に「形」として現れた物事は、深層という非物質領域 ——人間の心の中、各々の「内側」という根っこから伸びてきたものだ。
どちらが根っこ(原因)か。それを思えば、意識の焦点はほとんど内に向けるくらいでちょうどいい。

対症療法的な発想から目を覚ますこと

精神世界の考えに親しむ人でも、「肉体に魂が宿っている」「魂がこの世に降りてくる」と信じている場合がある。すると、自分を肉体という容れ物に入っている魂なのだと解釈し、生きている間は「この世」というフィールドを一時的に訪れており、2つの場を行ったり来たりするように、生前や死後に親しむ「あの世」と、「今いるこの世」とを行き来するものだと解釈している。
しかし、これは錯覚だ。

肉体も、世界も、あなたの意識の中にある。
「この世」も「あの世」も、「今」あなたの意識内に同時にある。

「この世に生まれてきたんだから、物質的現実に意識を集中させないと」という論理はおかしいのだ。
この世は、非物質的な基盤によってできている。そこを排除して、表層だけ見つめるということは意味を成さない。

何が根本か。何か基盤なのか。それを見誤っては、いかなる物事に対しても真の効果をもたらすことはできない。
現代では対症療法的な発想があふれ、原因でなく結果に「手当て」することを有効な解決だと思い込む。

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