ねぇ、それを望んでるの?

先日、妹が日常の悩み事で相談の電話をしてきて、そこにあった「恐れ」について話すうち、セミナーみたいになっていった。二人で話していると恐れの構造すらいつしか「面白い冗談」「爆笑」の種に変わっていったけど、これ、ひとりで考え込んでその思考にはまっていると、恐れを反復的に現実にする創造者になってしまうんだ。つまり、「自分にはそれ以外の選択はない」とか「これ(恐れている通りの内容)が最もリアルである、動かし難い現実である」と思ってしまうのね。
あるのに! ほかの選択、ほかのものの見方から実現する現実。

現象自体にあらかじめ決まった意味はなく、起こったことをあなた自身への「評価」に結び付ける必要はないけれど、思い出して。あなたは間違いなくあなたの現実の創造者だ。
どんな状況も出来事も、あなたに「起きてくる」のではない。
あなたが起こしている
んだ。

もしかすると、ごく最近になって私の記事を読むようになった人は、私の用いている表現の一部から「起こる物事は変えられない、ただ起こっている」とのものの見方を持っている者のような印象を抱くかもしれない(そうでもないか?)。
でも、以前から記事を読んだりセッションや講座で一緒に学んだりしていた人はわかっているでしょう、私の書いて伝えていることの根底にいつもある同じ意図を。これは、そういう人たちにとってもリマインダー!
いつだって、この気づきに戻ってきてね、そこから離れないでね、
「自分が創造者である。自分以外に自分の現実をつくっている者はいない」という真実を思い出してね。
なぜなら、この自覚から離れた途端に、あなたは「自分以外の何者かがつくっている夢の中の、夢の登場人物」のポジションに自己を置いて、そうだと思い込んで生きてしまうからだよ。
自分が何であるかを忘れ、自分がつくっている現実であることを忘れることによって、あなたは現実の「受け手」や「被害者」になってしまうんだよ。

この現実はあなたの意識の中にある。外に見え、体験している世界は「あなたの思いの結果(思いが形をとったもの)」だ。
それだけのことだから、これを「概念的に理解すること」自体は簡単だし、それだけのことなのに「現実の経験」はリアルだから、「概念としてそれをわかるだけでなく、自分の意識を真実に沿って扱うこと」には意識性と訓練が必要なんだよ。
◇私のnote内の参考にしていただけるマガジン★霊的な目覚めと創造★

恐れがあるとき、自分を分裂させていることに気づいてる?
自分の「意志」が、ひとつではなくなっていることに気づいているかな。

恐れに手を伸ばしてむんずとつかみ、自分の現実にするのをやめよう(笑)

今回妹に話した中で、爆笑してもらったフレーズは、「恐れへのえこひいき」
過去の経験から、自分の恐れが正当であるという「証拠」になる経験だけをピックアップして、それが繰り返されると信じる拠り所にしている。
本当は、平等に過去を探せば、その真逆の経験だってしているのに、恐れに沿った経験だけを選んで「えこひいき」する。これが現実なんだ! ってね。

恐れの観念は、あなたの中に「今」ある。過去からもたらされるのではない。
むしろ、今ある観念を「リアルにする、正当化する」ために、自分が過去と見なしている情報を関連づけ、利用している。

あるいは想像上でも、「起こる可能性のある最悪の出来事」について考えることにアディクトしていないだろうか。
たとえば自分が一番心配していることや、起こってほしくないことを検索したりしてないよね? 予測できる可能性について「自分を守る」行動をしているつもりかもしれないけど、あ、やっぱその経験している人いるわ! って、どこかからの情報を仕入れて自分の観念を強化して、暗い気持ちになったりしてないよね? 
もしそうだったら、どうしてそんなことをしてるかに気づこう!

あなたが決めている。自分の意識が「今」選ぶ観念と、見たいものの方向性を。
自分自身の恐れをリアルにしたくて、実体を持たせたくて、握りしめているということ。それどころか、わざわざ望んでいない現実に自ら手を伸ばし、むんずとそれをつかんで、自分の新たな経験に持ち込もうとしているということ。

ねぇ、それを望んでるの?

これを自覚してやめるだけでも大進歩だけど、根本解決のためにさらに踏み込もう。
どうして恐れに固執すると思う?
どうして恐れを「ほら、やっぱり」と現実にしようとするのかな?

それはね、

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