より良い現実という虚構・時についての錯覚(未来を選ぶとは)
最近私は「時についての見方、感覚」がとても変わってきていて、それ自体は別の記事にもするつもりだから詳しくふれないが、この変化の中で強烈に気づいてきたことがある。
そして、この気づきの内容にはけっこう考えさせられている……大きな発見はいつもそうだが、これまでの発想が逆転する驚きがあるからね。
人間のいわゆる「通常」の反応や感覚のままでは、かえって「望むのと逆」に向かってしまうんだ……ということが今まで以上にありありと感じられ、たとえば現実との関係を踏まえた「法則」を理解して、心のあり方の鍛錬や実践をしている人が多くいるにしても、どれだけこのことを認識している上で行っているのか? というと、そこは微妙かもしれない。
まず、「時間は連続的に流れて未来に向かっている」という感覚があるが、それは間違いだ。間違いというかイリュージョンなのだが、今親しんでいる概念や感覚を利用しなければ意味が通じにくいから、未来という言葉はまだ使っていこう。
この、未来のことだが、「現在の延長上のどこかに未来がある」という錯覚がものごとをおかしくしている。
その錯覚によって生まれる虚構があなたを惑わせているのだ。
何を基準に、何と比較しているか
あなたの抱く夢や、将来の楽しみや、これから実現したい何かを否定する意図はない。希望を打ち消そうというわけじゃないのだ。
ただ、私たちは「比較」を導入しがちで、それは必ず自分の中で行われる(他者との比較という意味ではない)。
宙に浮いたように、それのみで独立した希望……を持つことは珍しいのだ。
これはどういうことか? 一体何が問題になるというのか。
あなたが時の概念・感覚を、現代の一般的理解に沿って用いていると、
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