インスピレーションを遮る「メリット」?【ひとつ否定するのは全体を否定するのと同じ】

こうした文章を含め、私が長く「自分の思いついたことを形にする仕事」をしながら実感し、常に覚えておきたいものだと思ったことがある。この種の作業ではそれが特に顕著に実感できるのだが、実は、日々のすべての事柄にまったく同じことが言えるのだ。
「自分の受け取ったインスピレーションを否定すると、必ず滞る」と。

これは、あからさまにアイディアを拒絶するのではなく、「留保し続ける」という態度をとるときでも同じ。
流れるはずだった水が淀んで濁るように、その一個を積んだ後でないと次が積めない石の礎のように、インスピレーションの「ひとつ、ひとつ」を肯定しないと進展を止めてしまう。

インスピレーションを遮り、阻んでしまうのはなぜか

インスピレーションは特別なときに降りてくるものではなく、常に内から湧いている。けれど、私たちは自分自身の受け入れた観念による「自動再生の繰り返し」である習慣的考えや反応を優先することで、インスピレーションを「ミュートする」。

なぜ、そんなことをするのだろうか。
そうしている本人は一見「いいアイディアはないかな、インスピレーションが降りてこないかな」と本気で待っている姿勢なのに。それどころか、積極的にアイディアを「つかもうと」努力もしているかもしれない。

望んでいるはずなのに、実際にはとめどなくやってきているインスピレーションを「聞かないように、見ないように、気づいてないように」ふるまうのはなぜだろう?

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