エネルギーの動きに様々な名前をつける私たち【独立している欲や感情はない】
性衝動や性欲について、平たく言えば「体はない」という観点からお話しした前回(◆「自己と体を同一視しなくなると、セックスをどう捉えるようになるか」※販売終了しました)。
性欲を含む色々な欲望やあらゆる感情について、「自分の意のままにはならないものだ」と信じている人もいるかもしれない。
私たちは、ひとつのものに様々な名前をつけることが得意だ。
物事を細分化して眺め、「分類」することが好きで、そうすることで「把握した」つもりになりたがる。
実際は、対象を制圧できていない、コントロールすることができない! と感じているからこそ名前をつけ、わかった風にしている。自分自身に対してですら、それが当てはまるというわけだ。
自分に「起きてくる」ように思える現象は、自身の内部の動きであり、個別には切り離せない流れの一部であるというのに。
経験の世界には変化がつきもの
この「経験の世界」には、変化がつきものだ。
ほとんど変化していないように見える鉱物や物質も、ゆっくりと変化している。それらは変化のペースが私たちにとって遅く見えるだけで、変化するという原理そのものを免れてはいない。
あなたがずっと同じであると感じていた建物の柱や壁なんかが、ある日よく見るとずいぶん古びたものだと思う。変わらないと思っていた石も、少しずつ様子が変わっている。
私たちも毎日、毎時間、変化している。
いつも動きがあって、静止していない。
あなたが息を吸い、吐いて、体内を血液が循環し、細胞は入れ替わるというように、体が静止していないという考えには慣れっこになっているだろう。
しかし、そうした目に見える動きの元には、エネルギーの動きがある。
前回も、体という表現(形)の元にあるエネルギーの話はした。
物質世界にはこれだけ多くの表現があるのだから、エネルギーもまた、幾多もの種類があるはずだと考えたくなるかもしれないが、そうではない。
エネルギーはひとつだ。たった一種類。
すべてが同じ、エネルギー。
このことを、腑に落とそう。
自分がどう受け止めるかで、呼び方を変える私たち
たとえば、「良い」エネルギーと、「悪い」エネルギーがあるということはない。
快・不快、Good VibrationとBad Vibrationなどと言えば、私たちにとってそれがどういうことを指しているかはよくわかるが、エネルギーそのものに種類があるというわけではないのだ。
エネルギーはひとつで、切れ目のない同じものだが、人間はそれを部分部分に切り取って——言い方を変えると、一部だけを見て——それぞれに名前をつける。
自分にとってどう感じたかを表現するだけでなく、対象そのものが「別個の現象」であるかのように、分離させて考えてしまう。
川の上流、中流、下流が別々の独立したものであるかのように。
感情もそうだ。
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