実務をやりつつ、心は浮世離れしよう

私は特に悲観論者というわけではないのだが、「みんな、よく生きているよな」と心から思う。この世界で? 日々? 人間仕様のこの体で? いや、生きているだけですごいって。

これは私の心の底からの感想。尊敬しちゃう。地球人であること、地球体験をしていること、それだけでも。
それに加えて、何らかの活動をしたり、仕事をしたり? Oh my God.
どうしたらそんなことできるんですか! 驚異ですって。

そういう感想を持つ自分の部分に、私はある程度ムチ打って生きてきた。
そんなことをいちいち思ってもしょうがない。この世界では「当たり前」なんだって。驚いたりショックを受けたりせず、この世界の感覚に慣れて与していかなきゃ、いけないんだって。

でも、自分に課していたそんな決まりは、どこから出てきたのだろう? 誰がそう言ったのだろう? そして、私のほかにもこんな素直な感想を抱いている人が「いない」と限らないのは、とっくにわかっていることだ。

特別に「つらがりたい」わけじゃない。率直に、この体験のハードさは感じてきたからこそ、ここで生きている人たちみんなに一定の尊敬を感じるんだ。

ことさら「苦しみをなくしていく」研究をしてきたのも、そんな内容をずっと発信してきたのも、この感想と尊敬がベースにあってこそ。

普通にしてたらこの世界で「死んじゃう」のは当然に思えるんだ。
ごく一部の、どう表現していいのだろう、この世界で生きるに十分な耐性を持つ、つまり、ここで頑張り抜けるだけのスタミナを持つ傾向がある個性の人以外は。

何かしら苦しくなるのが、死んじゃいたくなるのが、デフォルト(初期設定)。
そのくらいの意気で、私は「集合的な」地球人を眺めてきた。

この大変さの「根本解決」を発見できたら。
ずっと、それが私の願いとなっていたし、私自身がそれを達成しなければ、真に人に伝えることもできないのだと感じてきた。

そしてついに、だ。
理論としてはわかっていた、概念として説くことは完全にできた「根本解決」が、思いもよらない形で私に降りてきた。

理論や概念はすでに十分伝えてきたので(もちろんこの私のnote内でもたくさん、たくさん)、その答えとようやく一体化した後の「私」が、今の視点を「この世仕様の表現」に置き換えて、こう知らせたい。

実務をやりつつ、心は浮世離れしよう
と。

ここでの「実務」の部分だが、難しく考えないでほしい。
この世界を体験していること、体を日々機能させていることも、私の言う「実務」だ。

つまり、「アンサー」的なところを強調すれば、

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