人の感情を否定するな ー育児への無理解発言を読んで考えたことー
こちらのツイートに反応が多かった。
奥さんの育児疲れを軽くあしらった旦那さんの、感情の否定を指摘したもの。
元の河内瞬さんのブログも、子育ての楽しい面ばかりが注目・発信されがちだけどそれだけじゃない、という共感必至の興味深い内容なのでぜひ読んで欲しい。
感情を否定される謂れはない
それで、ブログ内のエピソードを読んで考えたのは、行動は批判にされても構わないけれど、感情は誰にも否定されたくないということ。
喜びも悲しみも辛さもしんどさも、すべて感じている私自身のもの。
それに「変」も「おかしい」も「間違っている」も無いと思うのだ。
だってそうでしょう?
たとえ大多数が平気なことでも、その人にとって「辛い」ことだったら「辛い」。
逆に、多くの人が拒絶するようなことが「楽しい」人だっているだろう。
反社会的なことや法に反することだと困っちゃうけれど。
人の「辛い」「悲しい」「しんどい」「楽しい」「嬉しい」を否定できる人は誰もいない。
感じたことは、変えようのない事実なのだから。
相手を尊重するということ
この友人の奥さんは喧嘩するエネルギーのある方だったようだが、中にはあまりのことに反論もせず、抱え込んでモヤモヤしてしまう方もいるだろう。
私が夫にこんなことを言われたらとてつもなく腹が立つし、悲しい。
なぜなら、自分が尊重されていないと感じるからだ。
もちろん、やってみなきゃわからないことはある。家事も育児も、身近でない人にはピンとこない部分があるだろう。
それに、他人の考えを100%理解することなどできやしない。
でも、瞬時に理解や共感できないことだったとしても、「ああ、あなたはそう感じているのですね」とひとまず受け止めればいいじゃないか。
反論や批判はそれからでいい。
相手を尊重するというのは、まず相手の気持ちを認めるところから始まるのではないだろうか。
だからせめて夫には、そんな対応はされたくないなぁ。
感情を否定されると建設的な意見も飲み込み難い
そしてよくよく考えると、この「人の感情の否定」は、日常のあらゆる所で見られる。
この程度の残業がしんどいなんて、甘え。
学校に行きたくないなんて間違ってる。
あの動画が面白くないなんておかしい。
××ちゃんが苦手とか頭おかしい。
などなど。
親や先生や上司や知人友人、いろんな周りの人に感情を否定されるうちに、それを内面化して自分でも他人の感情を簡単に否定してしまう人がいるのかもしれない。
そして、場合によっては、自分の感情を否定されることに慣れてしまっていることもあるのかも。
そしてこれは私だけではないと思うのだけれど、感情を否定されると、その後の建設的な議論も耳に入らなくなってしまう。
例えば冒頭の知人さんの「やり方が悪いだけなんじゃないの?」という言葉は、もしかしたら改善策に繋げようとしていたのかもしれない。
(かなり好意的な解釈だけれど)
実際、負担を減らす方法を検討すべきではある。
でも、上記のような言われ方をしたら、その後どんな建設的な意見が続いても受け入れ難い。
自分を尊重してくれない相手の話を聞き入れるのは難しい。
あるいは傷つけられたショックで頭がフリーズしてしまうかも。
せっかく解決しようという気持ちや良い案があるとしたらなおさら、相手の感情を否定してしまうのはもったいない。
家庭でも、職場でも、学校でも、街中でも。良い関係を維持し、議論をマトモに成り立たせる素地を作るために、相手の感情は大事にすべきだと思う。
私自身、無自覚に不寛容な面もあるだろう。
それでも、なるべく他人の感情を尊重できる人でありたい。
たとえそれが自分とは違う感情だったとしても。
むしろその方が面白いかも、なんて思うのだ。
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